
イタリア全土に苛烈な移動制限に象徴される重い隔離・封鎖・監禁令が出されて初の週末を迎えた。
土曜日の昨日は、朝早い時間は一見なんの変哲もない週末の始まりに見えた。が、9時頃から「不要不急の外出を控えてください。自宅に留まって週末を過ごしてください」と繰り返しスピーカーで呼びかける役場の広報車が通った。
今日は3月15日。日曜日。朝6時現在のイタリアの新型コロナウイルス感染者数は:
前日から3497人増えて21157人。死者の数は1441人、回復した者が1996人。
治癒者が死者の数を上回っているのがわずかな光明だが、感染爆心地のここロンバルディア州では医療崩壊が間近に迫っている。いや、もう始まったと言うほうが正しいのかもしれない。病院に運び込まれるCovid19患者の数が収容能力の限界に達しているのだ。
朝5時半起床。シャワーを浴びて朝食の後、イタリア随一とされる新聞Corriere della Sera の電子版が伝える、AM6時のCovid19関連リアルタイム状況をチェック。それが上記の数字だ。
その直後、思いついて家の南窓からA4高速道路の交通量を確認した。それが冒頭に掲載した2枚の写真である。同じポイントをヒキとヨリで切り取っている。
A4高速はミラノとベネチアを結ぶ自動車道。イタリアで最も重要な高速道とされる。1日24時間常に交通量が多い。文字通り片時の休みもなく大小の車が高速で行き交っている。
窓を開けて耳を澄ますと、A4高速を疾駆する車の音が重なって風の口笛のように響く。ガラス窓を閉めるとその音は聞こえなくなる。わが家から高速道路まではそういう距離である。
A4高速はミラノを経てトリノからフランスまたスイスへと通じ、ロミオとジュリエットの街ベローナを介してオーストリアへと伸びる。そこからドイツ他の北欧各国につながる。
またベネチアからはスロベニアを横断して東欧全域へと伸びていく。A4自動車道はイタリア経済の担い手である北部イタリアと、欧州全体を結ぶ経済の大動脈なのである。
イタリアの高速道路網の中では、太陽道とも呼ばれるA1高速が最もよく知られている。それはミラノからローマに直結し、さらにナポリほかの南イタリアへと伸びるもう一つの大動脈。
A1自動車道は、南下するに連れて輝きと熱気を増していく陽光を追いかける、いわばバカンス・ロード。だから“太陽道”なのである。
わが家はミラノとベニスの間のミラノ寄りにある。高台になっていて、写真のように窓から東西に走るA4高速道が見える。晴れた日には地平線の彼方にアペニン山脈の山々を望むこともできる。
冒頭にある右の写真中央、2軒の家の間の向こうに見える明るい四角の箱は、A4高速道を左のベネチア方向から右のミラノ方向に向けて進む大型トラック。まだ夜が明けきらないため荷台を電気で飾りつけて走っている。
トラックの姿は5分近く待ってようやく捉えることができた。普段なら5分の間には、たとえ真夜中や早朝でも数え切れないほどの車両が高速で駆け抜ける。
ところが、今朝はほとんど車の姿が見えなかった。それは日曜日の早朝という時間帯のせいだけではない。イタリア全土が新型コロナウイルスに直撃されて呻吟し息をひそめているからだ。
わが家の北の窓によると、スキーリゾートのあるカンピオーネ山がすぐ近くに迫り、遠方には前アルプス(アルプスへと伸びる北イタリアの連山)の山々の峰が望める。
またわが家の西の角には僕の仕事場兼書斎がある。そこの窓に寄ると自家のブドウ園が真下に見え、それは集落の家々の連なりを経て他家の広い何枚ものブドウ園へと伸展していく。
広大なブドウ園の連なりの中を練ってのびる道路上には、今この文章を書き進めている午前11時現在、車の往来がない。ましてや人影など文字通り皆無だ。
窓から見えている村の集落内にも10人余りのCovid19患者がいる。そしてその先のミラノ方向に広がるロンバルディア州の全体は、いつ起きてもおかしくない医療崩壊の恐怖と死の影におびえている。
むろん窓から眺める村の集落もロンバルディア州の一部なのだが、表面はまるで平和ボケに浸る幸せな田園地帯、とでも形容したくなるような穏やかな景色だ。
週末なのに僕の心は全く弾まない。弾むどころか沈うつそのものだ。それでも先刻、ほんの少しほっとする知らせがあった。
自己申告の外出許可証(外出趣意書)を携行すれば、住民票のある村以外の場所での買い物も可能だ、と友人がSNSで知らせてきたのだ。
厳しい移動制限下では、基本的には自分の住まう自治体内での買い物が原則だが、スーパーマケットで食料などを購入する場合は、少し離れた地域でも許されるとのこと。
僕は自分の村の集落内にあるスーパーでの買出しを、少し重荷に感じていたからほっとした。そこは店内スペースが狭い上に品揃えも薄い。僕がほしい鮮魚などは扱ってさえいない。
だが品揃えの貧弱は実はそれほど問題ではない。気になるのは店の規模だ。田舎とはいえ村里の内に建つ店は土地が狭く、従って店舗も小さい。中では買い物客が押し合いへし合い動く、という印象がある。
普段ならその状況は、家族的で友好的、というふうに捉えることもできるだろう。が、コロナウイルスが猛威を振るう現状では少し気が引ける。移動管制下の今は、店内に入る時は「列を作って1人づつ順番に進む」というルールはあるものの、できれば人混みは避けたい、というのが人情である。
そんなわけで、やや下賎で且つしみったれた根性だと我ながらいやにならないでもないが、郊外の広々としたスーパーで買い物ができるらしい知らせが嬉しい。買い物とはほとんどの場合食料の買出しだ。今のところはその予定はないが、重苦しい空気の中でのささやかな朗報、と感じ入っている。