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イタリアのCovid19危機は深まるばかりである。死者数、患者数ともにほぼ連日、一日あたりの増加数の記録を更新するような有り様だ。

嘘か実か中国の状況が改善するらしい中、3月17日AM6時現在、スペインの感染者数がほぼ10000人となり、韓国を抜いてイタリアに次ぐ欧州第2位の汚染国になった。またドイツ、フランス、そしてついにスイスも感染大国になってしまった。

イタリアの苛烈な隔離・封鎖策がもしも正しいものであるなら、その効果は2週間ほど後に現れるとされる。従って今は状況が悪化してもひたすら我慢して待つしかない。

ウイルス禍はひたひたと僕の身近にも寄せて、友人知己が感染し亡くなる者まで出た。そのことはまた後で書くが、ここでは今日未明に起きた「事件」と昨日のそれを記しておきたい。

ごく普通のエピソードが、異常な時間の流れの中では違ったものに見えたり感じられたりすることの典型、と思うからだ。ちなみに、もしかすると映画の一場面のような挿話に見えるかもしれない語りも全て実話だ。

今朝AM4時過ぎ、家の周囲に張り巡らされている侵入・警戒警報がけたたましく鳴り響いた。飛び起きて、おののく妻を庇いつつ安全な部屋に移動した。僕はそこを勝手に避難所と呼んでいる。わが家は落ちぶれ貴族の古い館で、過去に盗賊に押し入られたりした歴史を持つ。

現在は警備システムで固められていて、警報は警備会社と軍警察に直結し鳴り渡るとほぼ同時に武装した警備員が駆けつけてくれる。それまで家の者は安全な一室で待機する。

家の内側と外に向けて大きく鳴り響く侵入・警戒アラームは、ひんぱんとは言えないが年に何回か作動する。幸いにこれまでは大事には至っていない。

悪天候時に家の古い扉や窓が強風で押し開けられたり、物が飛来してシステムに触れたり、鳥などの生き物がぶつかったり、家族の誰かが家のどこかを閉め忘れたり、逆にアラームを解除せずに窓や扉を開けた場合などに容赦なく咆哮する。いつも不快で不安な音だが、今朝のそれは取りわけて忌まわしく感じられた。

普段はそれほどでもない恐怖感が僕の全身を鷲づかみにしていたのだ。臆病な妻は今にも泣き出しそうだ。いつものことだが明らかに緊張感が違っていた。数日来、新型コロナウイルスに翻弄されている心労が、妻にもまた僕にも悪い影響を及ぼしていた。

僕の頭の中をすばやくよぎったのは、いま振り返って説明すれば「ウイルスの恐怖で混乱し萎縮している世の中の弱みに付け込んで賊が押し入ってきた!」という思いだった。それはいかにも現実味を帯びていた。普段は覚えない恐怖を僕が覚えたのはそれが理由だった。

アラームが鳴る度に怯える妻と違って、僕がいつも割りと平常心でいるのは、決して僕が勇敢な男だからではない。僕は警報システムと警備員の能力を信頼し、頑丈に作られている避難部屋の安全に自信を持っているのだ。

事態は次のように動く。

警報のスイッチが入って、けたたましい非常ベルが鳴る。すると、即座にと言ってもいい速さで固定電話が鳴る。
受話器を取ると警備員の声が「どうしました?」と訊いてくる。
「分からない。安全な部屋に移動する。誰か送ってくれ」とこちらが答える。
「暗証番号は?」とすぐに向こうが問う。こちらが暗証番号を言うと電話の相手は畳みかける。
「あなたはどなたですか?」。こちらが名前を言うと、
「分かりました。すぐに向かいます」とつづく。
警備員は電話に出るのは僕か妻でなければならないと知っている。だから暗証番号に加えて名前も訊く。電話に出たのが屋内に侵入した賊ではないことを繰り返し確認するのだ。

時間が少しずれたり、こちらの都合で固定電話に出られなかったりすると、彼らは僕の携帯電話に連絡を入れてくる。その時には僕は十中八九妻を連れて避難部屋にいる。そこに待機していると、数分も経たないうちに再び僕の携帯電話に連絡が入る。「いま着きました。これから見回ります」と警備員は言う。彼らは拳銃を頼りに家周りを点検し、最後に庭に入ってくる。門扉の合い鍵を持っているのだ。

僕は警備員の懐中電灯の明かりを確認して庭に出る。彼らとともに、だが彼らが先に立って、僕らは階下の家の扉を開け、裏庭に回って一帯を点検する。安全が確認されたところで、警備員は出動証明書に必要事項を書き込んで僕に渡す。そして帰っていく。

そうした一連の動きが過去に何度も繰り返され、手続きが確実に実行されてきた。警備員はいつも落ち着いていて且つ勇敢だ。闘争や銃撃に自信を持っていることがひと目で分かる。僕は彼らを信頼し、そのために警報が鳴っても、妻とは違ってあまり慌てることがないのである。

今朝も手順は正確に実行された。だが一点だけ違った。僕は避難部屋の一角に厳重に仕舞ってある猟銃を手に庭に出たのだ。普通はそういうことはしない。なぜなら彼らが家の周りを点検した時点で何事もないのなら、ほぼ100%安全が確認されたと分かるからだ。

彼らはその後に庭に入ってくる。僕は懐中電灯と、せいぜい携帯電話などを持って警備員に会いに行く。裏庭を確認するのは念のためだ。裏庭は彼らが既に周回した道順に隣接しているが、内部からも点検してさらに安心したいのだ。

そんな慣習にもかかわらず、僕は今回は猟銃を持って庭に出た。不安だったのだ。そこでも新型コロナウイルスの脅威が明らかに心理を圧迫していた。猟銃はもちろん合法的に手に入れた登録済みのものだ。狩猟が目的ではなく、銃の扱いを習うために手に入れた。が、自衛の目的も完全にないとは言えない。それでも普通は猟銃を持ち出すことはしない。

朝4時前後の闇の中で覚えた恐怖感は、今この文章を書いている昼前の明るみの中では少しも感じない。むしろ強い恐れを抱いたのが異様に思えるほどだ。だがそういうことがごく容易に起きる現実が、Covid19に呪われた今のイタリア社会を如実に物語っているように思う。

アラームが作動したのは、妻が普段は閉まっている幾つかの窓を昼間のうちに開け放って風通しをして、そのまま忘れたからだった。彼女がそうしたのは新型コロナウイルスを意識してのことだ。ウイルスは風通しを良くしたほうが増殖しにくい、と聞いていたのだという。開いている窓から飛び込んだ蝙蝠か梟か何かにアラームが反応したのだろう。あたりにはごく小型の蝙蝠や梟が出没する。昼間は鷹も飛び交う。ブドウ園が有機栽培に変わってから野生動物の数は一段と増えたようだ。

昨日はもうひとつの“事件”もあった。

昼過ぎにふいにインターネットが使えなくなった。それもまた珍しいことではない。わが家では古い電話回線を使っているため、モデムやPCの状態とは関係のない支障もよく起きる。なにしろ光ファイバーが最近導入されたが、それは道路の向こうまでのサービスに留まっていて、自家までは入って来ないという情けない状況だ。

しかし、わが家には2つの回線がある。自宅と僕の仕事場兼書斎に引かれた2回線だ。全く違う系統のラインなので、一方が使えなくなっても片方は大丈夫、という場合がほとんどだ。ところが昨日は両方の回線が落ちた。その事実にひどく打ちひしがれた。その場の状況も不安だったが、この先コロナウイルス騒ぎがさらに沸騰して、インターネットが使えなくなるのではないか、という妄想がふいに脳裏に浮かんだのだ。

それは電気が停まってテレビが消える連想を呼んだ。そこからまた連想がはたらいて、わが家にはラジオがないことに思い至った。CDプレーヤーとセットになっているラジオを、下の息子が持ち出して行ったのだ。もう数年も前のことだ。そうすると非常事態に陥ったとき、わが家には情報入手の手段がない、と思いはどんどん進んだ。

恐慌に落ちそうな気持ちを抑えて、日本のNTTにあたるテレコム(TIM)に電話をした。女性オペレーターが出て、今日からテレワーク中だという。もちろんCovid19絡みだ。こちらの状況を詳しく説明し、2つある回線の両方が使えなくなったのは初めてだ、と締めくくってから、試しに言ってみた。「まさかウイルスの影響じゃないでしょうね」。

声から若い女性と想像できる電話の相手は、ふいに絶句した。怖がる息遣いが聞こえてくるような異様な雰囲気。反省して「冗談ですよ」言いつつ声に出して笑った。すると相手も明らかにほっとした気配の笑いを返し「分かっています」と照れたような声を出した。

彼女は遠隔操作でいろいろ試みた後、回線やモデムには何も問題はないようだから、一度コンピュターをOFFにしてみてくれと言う。言われた通りにすると、あっさりとインターネットが回復した。

次に同じ家屋内にある自宅の回線もチェックしましょうと告げられて、仕事場から自宅に移動してコンピュターの前に腰を下ろした。つながったままの携帯電話を耳に押し当てながらインターネットを起動した。するとオペレーターの操作を待つまでもなくラインは既に回復していた。

女性オペレーターの的確な対応に何度も礼を言い、ウイルスにくれぐれもお気をつけて、と念を押して電話を切った。

ここ2週間ほどの間にイタリア社会の何かが壊れて、あることないことの全てが新型コロナウイルスの悪意に操作されているのでもあるかのような、不快な現象が見え隠れしないでもない。気をつけないとまずい、と僕はしきりに自分に言い聞かせているところである。。


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