
2020年3月21日現在(イタリアの数字は前日PM18時発表)、イタリアの新型ウイルス感染者数は47021人。既に中国を上回った死者数は予想通り増え続けて4032人。
どちらの数字も感染ピークが期待 されている3月25日前後までは伸び続けるだろうから言及するのが空しくさえある。あまつさえ感染ピークの日にちは、飽くまでも予想できる最善の展開、という枕詞付きだから先行きは心もとない。
それでももう少し数字にこだわる。感染者数2万余のスペインに続いてほぼ2万人に達したドイツの感染者総数がイランを上回り、アメリカも恐らく今日中には2万人を過ぎてイランを追い越す勢いだ。また3月19日に韓国を上回ったフランスも患者数はとうに1万人を凌いで増え続けている。
そうした危機的状況を受けてEU(欧州連合)のデア・ライエン欧州委員会委員長は、加盟各国は新型コロナウイルス対策のためなら幾らでも財政支出をしていい。EUはそれを支持し必要なら援助もする、とテレビ演説で異例の声明を出して、苦境の真っただ中にあるイタリア国民を感動させ、EU加盟各国民を勇気付けた。
欧州委員会委員長に就任したばかりの彼女はここまで、先日首相になって初めてのテレビ演説で「団結してCovid19と闘おう」と国民に呼びかけた独メルケル首相を髣髴とさせるリーダーシップを発揮している。メルケル首相の退陣による欧州政治の穴をあるいは埋めてくれるかもしれない。
閑話休題
現在イタリア最大の、ということはつまり欧州最大の新型コロナウイルス感染地域であるロンバルディア州の住人である僕は、まずイタリア初の州の封鎖に見舞われ、封鎖が全土に拡大されたことで、あれよという間に住まいのある人口1万1千人の村に閉じ込められた。
その後も事態は悪化して、僕の村のあるブレッシャ県は隣のベルガモ県と共に、ロンバルディア州の中でも最大最悪のCovid19被害地域になった。もはや中国武漢の人々もマッサオの不運ではないかとさえ思う。ブレシャ県は3月21日現在、人口約127万人中4.648が感染し人口約111万のベルガモ県はブレシャ県を上回る数の感染者を抱えてあえいでいる。
新型コロナウイルスの脅威はひたひたと僕の身近にも寄せて包囲網ができあがり、これまでのところ友人知己のうちのかなりの人数がウイルスに感染したことが分かってきた。3つの衝撃的なケースと、もう一つ自分にとってひどく気になる逸話がある。
ここでは3つの衝撃的なケースのうち個人的に感慨深い2つのケースと、確認ができないが懸念しているエピソードを先ず書いておこうと思う。
一つはここまでの唯一の死亡例でかつ僕の住む村での出来事。つい先ごろ定年退職した僕の「かかりつけ医(ホームドクター)」のジーノ・ファゾリ先生が亡くなった。イタリアの医療はホーム・ドクター制度を採っていて、住民は誰もが必ず一人のかかりつけ医の世話になる。
先生はあらゆるボランティアをすることで有名な人で、先日もわが家の庭でバーベキューをした際に招待したが、アフリカ移民の人たちの健康チェックに手を貸すボランティアで忙しく、顔を出せないと知らせてきた。
ファゾリ先生はボランティア活動の間にウイルスに感染し入院後に亡くなった。年齢は70歳台半ばだったから、Covid19の犠牲者としては比較的若い。何らかの持病があったようだ。一週間ほど前までの統計では、イタリアのCovid19犠牲者の平均年齢はおよそ81歳。ほとんどが基礎疾患を持つ患者だ。
2例目も驚きだ。ブレシャ県ブレシャ市には国内でも有数の公立病院がある。そこに次いで大きなキリスト教系病院の最高医務責任者W・G医師もCovid19に罹患した。彼の妻ローズと僕の妻はアフリカ支援団体にからんだ縁で親しい。その関係でW・G医師と僕も知り合いである。
50歳代とCovid19患者としてはかなり若いW・G医師は、幸い退院して回復しつつある。とはいうものの、亡くなったファゾリ先生といいW・G先生といい、医者が新型コロナウイルスに感染して死亡したり重症化したりするのが珍しくない状況が、イタリアの今の深い苦悩を如実に示しているように思う。
3つ目は最近知り合い親しくなった友人の消息だ。
新型コロナウイルスの影も形も見えなかった12月半ば、ミラノに本拠を置くイタリア随一の新聞Corriera della seraの地方版から僕を取材したいという連絡があった。ここ2、3年遠い昔にアメリカで賞をもらったドキュメンタリーが蒸し返されることが続いたので、またそのことかと思った。少しうんざりした、というのが本音だった。
ところが古い作品の話ではなく、ロンバルディア州のブレシャ県内に住む、プロフェッショナルの外国人を紹介するコーナーがありそこで僕の人物紹介をしたい、と記者は電話口で言った。断る理由もないので取材を受けた。
僕の住まい兼仕事場まで足を運んでくれたのは、元イタリア公共放送局RAIの記者で、北イタリアのリゾート地イゼオ湖畔の街の市長も勤めた名のある人。人物も素晴らしい。取材を通してすっかり意気投合し、後日の再会も約束した。
記事の掲載は3月11日になった、と連絡が入った。ずいぶん遅くなったのはCovid19騒ぎのせいらしい。発行された新聞を見て少しおどろいた。丸々1ページを使ってかつ何枚もの写真と共に、僕のことが紹介されているのだ。過去に新聞に取材をされた経験はあるが、1ページいっぱいに書かれた経験はない。
アメリカで賞をもらったときでさえ、もっとも大きく書かれたのは日本の地方新聞に写真付きで紙面の4分の一ほどのスペースだった。全国紙にも紹介されたが本人への直接の取材はなく、僕の名前と受賞の事実を記しただけのベタ記事(?)だったのだ。それなものだから、1ページ全てを使った報道に目をみはった。
時期が時期なので、僕はWEBで送られてきた記事の写真を新聞が手に入らないであろう友人らに送ったきりで、その後は記事については口をつぐんでいる。だが実は、記事の作り方が面白いので、コロナ騒ぎが収まった暁にはそれをブログなどで紹介しようとは思っている。
3月11日、発行された新聞に目を通したあとで記者に電話を入れた。礼を言おうと思ったのだ。ところが通じず、夜まで待っても折り返しの電話もない。珍しいことだった。律儀な人で連絡を欠いたことがない。だが、彼の多忙を気にしてこちらからのしつこい連絡は控えた。
翌日、記事を読んだ妻の従兄弟のフランチェスコからコメントの連絡が入った。よい記事だと繰り返し褒めたあとで彼は「記者のR.Vとは彼が市長時代に仕事をしたこともありよく知っている。よろしく伝えてほしい」と締めくくった。フランチェスコは大学の教授だった人である。
僕はそれを言い訳に再び記者のR.Vに連絡を入れた。ただし電話ではなくSNSのメッセージで。「従兄弟のフランチェスコがよろしく、とのことです」。すると返事が来た。「ありがとう。私からもよろしく、とお伝えください。健康面でちょっと問題を抱えました」。
僕の脳裏にほぼ反射的に「ウイルス感染」の大文字が浮かんだ。彼は仕事柄、また市長さえ務めた社交的な性格も手伝って人付き合いが多い。時節柄リスクは高いに違いない。また電話に出ず、メッセージで病名を言わずに敢えて「健康面で問題を抱えた」と記したのが不吉に映る。僕はとても確認の連絡を入れる勇気がないまま、どこかから情報が入ってくるのをじっと待っている。
実はもう一点情報を集めている事案がある。やはり新型コロナウイルスにまつわるものだ。そしてこちらも真偽を確認中の逸話だ。真偽のどちらに転ぶにせよ、次の機会に報告しようと思う。できればR.V記者に関する僕の懸念の真偽も共に。