緊急事態宣言を出し渋る日本政府の態度は、偶然にも数週間前のイギリスや今のスウェーデンに似通っている。違いはイギリスとスウェーデンが、民主主義の鉄則と確固とした意志と理論と科学に基づいて動いているのに対して、日本は行き当たりばったりに漂っているように見える、ということだ。
こういうことを言うと、欧米への劣等感への裏返して欧米に反感を持ち、従って欧米の精神や政治手法などを評価する言動にもすぐにかっとなって、反日、国賊、などとわめきつつ欧米のあら探しと日本擁護に躍起になる者が必ず出る。
そこであらかじめ言っておくが、これは何でもかんでも欧米が一番と思い込む「西洋かぶれ」論ではなく、また「日本人であることだけが唯一の誇り」主義者を糾弾する話でもない。日本がなにかと追従しがちな、欧米と日本そのものを客観的に見比べる試みに過ぎない。
イギリスはCovid19への対応策として当初、学校閉鎖もしない、大小の各種イベントも禁止しない、国民に自宅待機も呼びかけない等々、世界の趨勢に真っ向から立ち向かう政策方針を宣言していた。
早くから自宅待機を強要すれば、ちょうど感染流行が最高潮に達したころに、「自主隔離疲れ」を覚えた人々が一斉に表に出てしまう危険がある。それを避けようという計算がそこにはある。
またイベントや集会を禁止することは、その混乱やコストの割には感染予防の効果が薄い。さらに大規模集会やイベントが行われる広い空間では、自宅や個人集会の狭い空間で家族や友人知人同士が感染し合う可能性よりもリスクが低い。
学校を閉鎖するのも無意味だ。なぜなら子供がかかりやすい季節性のインフルエンザなら学校閉鎖が効果的だが、新型コロナは高齢者を襲うケースが多く子供の発症リスクは低い。だがこの場合、学校に通い続けることで子供から大人への感染リスクは高まる。
一方で、学校に行かずに自宅に留まり続ける子供の世話のために、医療スタッフが身動きできなくなる事態を回避することができる。感染大流行時に医療現場のスタッフが足りなくなれば、医療崩壊にもつながる重大案件だ。
さらに多くの高齢者は既に隔離されているケースが多い。従って年老いた人々をあらためて自宅待機をさせることのメリットはあまりない。それよりも家族や友人知己など、親しい人から彼らを引き離すことで、余計な孤独感を押し付けて健康を害するなどのリスクのほうが、よっぽど不利益。
新型コロナウイルスがはびこれば、やがて国民の中に免疫ができていく。ウイルスは今後何年も繰り返し出現する可能性がある。そうなった場合には、国民に免疫を付けておくことがより重要である。
ジョンソン首相は科学者らの提言を受けて、上記の政策を実行に移しかけた。だがすぐに彼のウイルス対策は「国民の命を危険にさらす」と別の多数の科学者らが反対。特に感染拡大を管理すれば国内人口のウイルスに対する免疫が高まる、との主張が反感を買った。
ジョンソン首相は結局、政治的圧力に耐え切れずに全面降伏。自由主義社会では先ずイタリアが先鞭をつけ、スペイン、独仏そして後にはアメリカなども採用した厳しいロックダウン策を取るようになった。
イギリスのあとにはスエウェーデンが似たような策を採っている。人口が少なく且つ民度の高いスウェーデンでは、政府と国民がいわば大人と大人の強い信頼関係で結ばれていて、お互いが手を取り合い感染拡大を抑えるために責任を持って行動する。
つまり政治的合意の下にロックダウンを避けているもので、必要ならいつでもロックダウンに移行できる態勢を取っている。イギリスが試みようとした「最終的には国民に免疫を付けさせること」も視野に入れた積極的な「放置」策ではなく、感染を防止することを目標にロックダウンを拒否する、消極的な「放置」策ともいえるやり方である。
安倍首相は、国会の場で「日本ではフランスのようなロックダウンはない」と断言した。では実際に感染爆発が起きてイタリアを始めとする欧州各国やアメリカのような危機が来たらどうするつもりなのだろうか。規制をかけずにそのまま感染を拡大させるのだろうか?
それは先刻触れたようにイギリスがやろうとしてできず、今はスウェーデンが似たような対応をしている。が、日本とスウェーデンでは民度の違いなどもあるからやはりそれはできるはずもなく、たとえできたとしても政治的な圧力ですぐにつぶされるだろう。イギリスのジョンソン首相がつぶされたように。
そうなると結局、いま日本が取るべき道は、①ロックダウンをかける。②ロックダウンをせずにウイルスがはびこるままにする。③安倍首相だけが知っているあっと驚くようなウイルス殲滅策を持ち出す、である。
このうち③はマスク散布というブラックジョーク以外はあるはずもなく、ウイルスがはびこるままに放置する②は政治的にできない。すると①のありきたりのロックダウンしか手はない。それなのに彼はそれを認めずのらりくらりと時間をつぶしている。それはやはり日本伝統の権力の「不正直」さがなせる業であるように見えるのである。