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イタリアのロックダウン(全土封鎖)は予定では今日(4月13日)までだったが、あっさりと5月3日までに延長された。当然過ぎるほど当然の成り行きである。

イタリアの1日あたりのCovid19死者は減少傾向にある。それでも昨日(4月12日)の死者数は431人にのぼる。新たな感染者数も1984人出た。少しづつ減ってはいるものの、ICU(集中治療室)患者も依然として3343人いる。

そんな中で、ちょうど1ヵ月に渡って続けられてきた新型コロナウイルス対策のガードをゆるめるのは、ほとんど狂気のさたというものだろう。それでも規制を緩和しろと主張する者はいる。

最たるものは財界人である。ロックダウンによって、ただでも絶好調とは言えなかったイタリア経済は青息吐息だ。失業者も巷に満ちている。

収入の道を絶たれた多くの貧しい人々からも、助けを請う悲痛な叫びがあがり始めている。また街中などの狭いアパートやマンションに閉じ込められた人々も、「苦しい」と訴え出した。

だが今の状況では誰もがただひたすら耐えるしかないだろう。経済は最小限の歯車は回り続けている。弱者の人々への救済策も一応打ち出されている。外出は状況が改善され次第徐々に許されるだろう。

新型コロナウイルスは既存の経済社会の仕組みを根底から揺さぶり、人々の慣習や常識や幸福を破壊し続けている。われわれは変化を受け入れ、耐え、生き方を修正することでウイルスの脅威に対抗するしかない。

中でも今このときに全ての人々に求められているのは、忍耐である。苦境に耐え続ければ、苦境が常態となって耐えやすくなる。だから厳しい規制が少しづつ延長されるのは良いことだ。

もちろんそれが永遠に続いて良いわけではない。むしろ逆だ。窮乏生活を一刻も早く終わらせるために、今を耐えるのである。そう信じて耐えなければ、何人も耐えられない。われわれはそんな正念場の時間の中にいる。

昨日、4月12日は「復活祭」だった。イエス・キリストが、死から3日後に甦(よみがえ)る奇蹟をたたえる、キリスト教最大の祭りである。

日本などの非キリスト教世界でも祝われるクリスマスは、イエス・キリストの誕生を寿ぐ祭典。いうまでもなく盛大なイベントだ。だがキリスト教最大の祭りではない。

誕生と死はイエス・キリストのみならず誰にでも訪れる。だが死後3日で甦生する大奇蹟は、イエス・キリストにしか訪れない。クリスマスと復活祭のどちらが重要かは火を見るよりも明らかである。

復活祭も新型コロナウイルスの前に屈服させられた。フランシスコ教皇は信者のいない無人の教会で祈り、人々は家に押し込められたままテレビ画面でその孤独な姿を見た。

家族や友人やゆかりの人々が集って、にぎやかに食べ、飲み、歓談する復活祭の宴も姿を消した。むろん食卓を飾る復活祭特有の子ヤギや子羊料理もほぼ同じ運命になった。

そして復活祭2日目の今日は「小復活祭-パスクエッタ」と呼ばれる「春を讃える」祝日。人々は野山にピクニックに出かけて爛漫の春を満喫する習慣がある。

今年はその楽しみも峻厳な外出禁止令に阻まれて完全に消滅した。僕の住まうロンバルディア州の片田舎の村には、無人の田園地帯が芽吹き始めた緑に覆われて粛然と広がっているばかりである。



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