7都府県が対象だった「緊急事態宣言」が4月16日、7都府県から全国に拡大された。僕は「緊急事態宣言」はいわば建前であり、本音はロックダウンだと捉えている。
ただし、そのロックダウンの罰則は日本独特の同調圧力を利用した村八分。そこがイタリア発・欧州各国またアメリカなどのロックダウンとは違う。
その観点から7都府県に限定した「緊急事態宣言」は意味を成さないと思っていた。なぜなら北部地域に限定したイタリアのロックダウンも効果が薄かったからだ。
ロックダウン域から規制の薄い地域へ逃亡する不心得者が必ずいる。またそうではなくても規制をかけた地域とそうでない地域の人々の仕事などでの往来が絶えないのが原因だ。
案の定、「緊急事態宣言」は全国に拡大された。イタリアのロックダウンがそうであったように。全国への拡大は正しい方向だと思う。
それによって日本の感染拡大が抑え込まれることを祈りたい。そうなればここイタリアに始まり、スペイン、フランス、イギリス、アメリカ、また世界各地をなぶっているCovid19の毒牙も極小になるだろう。
だが、そうならないケースも考えておいたほうがいい。つまり、「自粛」を頼りにする日本式ロックダウン、即ち「緊急事態宣言」がうまく作用しない場合だ。
その時は、世界各地で実行されている罰則さえ伴う「正真正銘」のロックダウンへの移行を余儀なくされるだろう。そこでは経済のさらなる破壊と国民の大きな犠牲が不可避だ。
同時に日本政府も、自らの責任を曖昧にしたまま国民だけに「自粛という犠牲」を強いる、「緊急事態宣言」の守護神という都合のいい立場ではいられなくなる。
禁止や罰則を国民に強いることで、日本政府はそこから出る結果に全て責任を持ち、壊滅した経済の再生や社会秩序の護持、そして何よりも国民の安全保障のために死に物狂いで取り組まなければならない。
ロックダウン策を取る場合は日本は、先ず一部地域を封鎖して徐々に拡大するのではなく、一気に全国を封鎖したほうがいい。なぜなら全国一律にしなければ、そこでもまた7都府県を対象にした「緊急事態宣言」の時と同じ瑕疵が必ず露呈するからだ。
そのことを含めて、ほとんど全てのアイデアと対策と実行法は、ここイタリアまた欧州各国、さらにアメリカが既に発明している。それは日本が「緊急事態宣言」そのものと、そこに至るまでの試行錯誤の過程で遺憾なくパクった通りだ。
日本政府は、もしもロックダウンをしなければならないような不運に見舞われた場合は、今度こそそれは施策の本家本元の欧州に倣ったものであることを隠さず、正直に国民に相対し、重い責任を全て背負い直して、決死の覚悟でウイルスに立ち向かっていくべきだ。