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Covid-19対策で厳しいロックダウンを敷く欧州各国や、アメリカ、インド、イランなどとは一線を画して、国民を縛らないゆるい施策を取るスウェーデンと日本を、同列に見る日本人が少なからずいるようだ。

だがそれは大きな心得違いだ。スウェーデンと日本は今のところは、厳しいロックダウン策を取っていないという意味で、偶然にも確かに似ていなくもない。しかしその中身は全く別物だ。

スウェーデンの施策は、成熟した民主主義に基づいて国民と政府がお互いに何をしていてまた何をすべきかを明確に理解し合いながら動くスキームだ。そこには事態の成り行き次第で即座にロックダウンに切り換え替えるという合意がある。

一方日本の緊急事態宣言は、イタリアほかの国々が採用しているロックダウン策を、日本独特のヌエ的な手法で骨抜きにして、「自粛」という一見民主的だが実は強制以外の何ものでもない権謀を国民に押し付ける措置。

自粛には「同調圧力」という日本社会独特の刑罰が伴っている。それは歴史的には村八分とも呼ばれてきた社会的仕置きだ。その点を除けば緊急事態宣言の内容はロックダウンと何も変わらない。

翻って スウェーデンは、学校閉鎖もしない、大小の各種イベントも禁止しない、国民に自宅待機も呼びかけない等々、世界の趨勢に真っ向から立ち向かう政策方針を取っている。それにはれっきとした合理的な根拠がある。

早くから自宅待機を強要すれば、ちょうど感染流行が最高潮に達したころに、「自主隔離疲れ」を覚えた人々が一斉に表に出てしまう危険がある。大規模イベントや集会を禁止しないのは、それらが行われる広い空間では、自宅や個人集会の狭い空間で家族や友人同士が感染し合う可能性よりもリスクが低いから。

また学校を閉鎖するのも無意味。なぜなら子供がかかりやすい季節性のインフルエンザの場合は学校閉鎖が効果的だが、新型コロナは高齢者を襲うケースが多く子供の発症リスクは低い、など、など、科学的な知見に基づいて実行している。

それらの見識とスキームは、実は以前にイギリスで生まれた。同国のボリス・ジョンソン首相は、イギリスがまだパンデミックの入り口にいたころ、その施策を実行に移そうとして国民の猛烈な反発に遭い、早々と諦めてロックダウン策に方向転換した。

同じ方針が人口が少なく且つ民度の高いスウェーデンでは受け入れられた。政府と国民がいわば大人と大人の強い信頼関係で結ばれ、手を取り合い、感染拡大を抑えるために責任を持って行動する戦略が採用されているのだ。

つまり国民と政府が政治的合意の下にロックダウンを避けているもので、既述のように必要ならいつでもロックダウンに移行できる態勢だ。安倍首相が国会の場で「日本はロックダウンはしない」と明言した、「行き当たりばったり」術に見えなくもない方策とは意味が違うのである。

ところが同時に、両国はまた似ているところもある。つまりここまでの状況では、スウェーデンも日本も結局、イタリアが先鞭をつけたロックダウン策を導入しなければ感染拡大を阻止できなくなるのではないか、との見方も出始めているのである。



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