祝4月25日切り取り650


新型コロナウイルスによる米国の死者が5万890人、イタリアのそれが2万5千969人となった今日4月25日は、イタリアの終戦記念日。ここでは解放記念日と呼ばれる。イタリアの終戦はナチスドイツからの解放でもあった。だから終戦ではなく「解放」記念日なのである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいが決定的になった。同年7月25日にはクーデターでヒトラーの朋友ムッソリーニが失脚して、イタリア単独での連合国側との休戦や講和が模索された。

しかし9月には幽閉されていたムッソリーニをドイツ軍が救出し、彼を首班とする傀儡政権「イタリア社会共和国」をナチスが北イタリアに成立させて、第2のイタリアファシズム政権として戦闘をつづけさせた。

それに対して同年10月3日、南部に後退していたイタリア王国はドイツに宣戦布告。以後イタリアではドイツの支配下にあった北部と南部の間で激しい内戦が展開された。そこで活躍したのがパルチザンと呼ばれるイタリアのレジスタンス運動である。

レジスタンスといえば、第2次大戦下のフランスでの、反独・反全体主義運動がよく知られているが、イタリアにおいては開戦当初からムッソリーニのファシズム政権へのレジスタンス運動が起こり、それは後には激しい反独運動を巻き込んで拡大した。

ファシスト傀儡政権とそれを操るナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスドイツによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

だがナチスドイツは連合軍の進攻もあってイタリアでも徐々に落魄していく。大戦末期の1945年4月21日には、パルチザンの要衝だったボローニャ市がドイツ軍から解放され、23日にはジェノバからもナチスが追放された。

そして4月25日、ついに全国レジスタンス運動の本拠地だったミラノが解放され、工業都市の象徴であるトリノからもナチスドイツ軍が駆逐された。

その3日後にはナチスに操られて民衆を弾圧してきたムッソリーニが射殺され、遺体は彼の生存説の横行を避けるために、ミラノのロレート広場でさらしものにされた。

翌1946年6月2日、国民投票によってイタリア共和国の成立が承認され、1947年には憲法が成立した。新生イタリア共和国は1949年、4月25日をイタリア解放またレジスタンス(パルチザン)運動の勝利を記念する日と定めた。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になった。言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのである。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのである。むろんそこに連合軍の巨大な後押しがあったのは言うまでもない。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」である。多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史だ。

それから75年後の今、イタリアは民主主義世界の先頭に立って、新型コロナウイルスとの戦いを繰り広げている。それに先立って一党独裁国家の中国は、邪魔な国民を排除-あるいはもしかすると抹殺さえして-都合の悪い情報を隠蔽し、思い通りに民衆を圧迫する方法でウイルスと対峙した。

自由主義世界のうちの民主主義国家のイタリアは、国民との対話を続け、情報を徹底開示し、国民の協力を得つつ都市封鎖を実践して、どうやら感染封じ込めに成功しつつある。イタリアの成功はスペイン、フランスにも波及し、今日現在は厳しい状況にあるイギリスやアメリカも間もなく追いつくだろう。

もともと症状の軽いドイツをはじめとする北欧諸国は、イタリアよりも明確な形で現われた封じ込めの効果を逃さず、ロックダウンを緩和してさらに先に進もうとしている。日本も感染爆発や医療崩壊をうまく回避できれば、経済をはじめとする全てが速やかに復調していくだろう。

イタリアの終戦は先に触れたようにナチズムからの解放だった。同時にそれはナチズムと強く結託していたファシズムを打倒した瞬間でもあった。ナチズムやファシズムは、民衆への圧制や虐待や弾圧によって即座に全土を封鎖分断し、新型コロナウイルスでさえも思いのままに封じ込めることだろう。一党独裁国家・中国が武漢でやったように。

ナチズムやファシズム、また日本軍国主義や一党独裁体制下では、人民は虫けらと同じだ。だから人々を思いのままに縛り上げ抑圧し抹殺して、都市封鎖でも何でも自在に断行しウイルスの封じ込めができる。だが民主主義国家ではそれはできない。やってもならない。

民主主義国の政府は国民と対話し、情報開示を完遂しながら国民の自由意志と権利を死守する。その上で必要ならば「自らの責任」においてロックダウンのような苛烈な規制を国民に課する。時には「自主規制」と称して責任を国民に押し付ける歪形ロックダウンもあるが、それとて独裁方式よりはましだ。

民主主義国家でも規制はかけるが、それは例えば中国が武漢でやったような有無を言わせずに力で抑え込むものではなく、法の支配の原則に基づく民主的な方策だ。罰則もかけるが、それらも全て民主主義の手続きを経て国民との合意に基づいて科されるものだ。

独裁国家や専制体制の国々が、強権を用いて人々を圧迫し、よってウイルスの感染も阻止する様を見て、独裁や専制も悪くないと考える者が必ずいる。だがそれは間違っている。世界はナチズムやファシズム、また軍国主義や独裁や専制による辛酸をさんざん味わい苦しんだ後に、これを打倒して今の民主主義と開明と自由を獲得した。

われわれはその開かれた仕組みによってパンデミックを克服し、例えば一党独裁国家中国よりも優れた体制の下にあることを証明しなければならない。それでなければ、第二次大戦前までと同じ暴虐と抑圧と恐怖が支配する暗黒の世界に逆戻りしかねない。

中国におけるパンデミックは、警察国家としての同国の性格をより強化するのに役立った、という論考がある。それは恐らく正しい。全ての民主主義国家は、繰り返しになるが、中国とは対極にある開明と自由を基にパンデミックを克服するべきである。例えば75年前の今日、イタリアがナチズムとファシズムを放逐して自由を獲得したように。



facebook:masanorinakasone