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以前のエントリーに

“手始めに、次のエントリーあたりでイタリア全土が封鎖された中での具体的な生活の様子を書いてみようと思う。イタリアの切羽詰った状況が日本に飛び火するようなことがあれば、もしかすると、このブログを読んでくれている日本の読者の皆さんの役に立つかも知れないから云々”


と書いたものの、中々すぐには行動できずに来た。他のテーマで書くべきことが多すぎたのだ。また、僕と家族はほぼ完全に自宅籠りの生活を送っていて、これといって特別な要素もない、ということにも気づいた。

加えて、北部イタリア・ロンバルディア州の片田舎にあるわが家には、周辺の家のほとんどがそうであるように庭があって、おかげで開放感がある。さらにわが家は古い落ちぶれ貴族の邸宅だった場所で、床面積が広い。普段はひどく持て余している無駄な空間や不便な造りが、巣ごもりの生活では息抜きをさえもたらす要素になっている。

そんな場所での隔離生活なので、特殊なケースであり、従ってその内容を書いてもあまり役に立つ情報にはならない、という疑念があった。しかし、強制的な外出禁止がいかなるものであるかの「一例」として、書いておくのも悪くない、と思い直した。また明日5月4日から始まるロックダウンの段階的解除がうまくいけば、隔離生活の記憶も薄れていく可能性が高いだろうから、今がチャンス、とも考えた。

「自宅監禁」と呼んでもかまわない厳しい外出制限が真に苦痛になるのは、多くの場合おそらく都会生活者においてだ。特に庭やバルコニーのない狭いアパートやマンションに住む、且つ子供のある家族にとっては極度の苦悶に違いない。またイタリアの場合は、一戸当たりの面積が欧州の中では狭い部類に入る。かつてウサギ小屋と揶揄された日本ほどではないにしても、家族全員が長期間閉じこもるには厳しい環境だ。

苛烈な外出制限や移動規制に象徴される隔離封鎖、あるいはロックダウンが敷かれている日常は、敢えて表現すれば「自由な監獄」である。数は少ないが営業を許されている仕事や病気など、れっきとした理由があれば外出はできる。食料の買出しも可能だ。散歩や運動も自宅内や敷地、また集合住宅の中庭などでならできないことはない。牢屋のようだが少しの自由はあるので「自由な監獄」。

僕らの一家の場合は、庭を歩いたり屋内で少し動きはするものの、自主隔離とロックダウン期を加えたほぼ2ヶ月間、一歩も家の外に出ていない。食料の買出しにさえ出ない。普段から食料の備蓄が少しあることと、外出自粛(法令による禁止ではなく)が奨励されていた時期に、割と多目の食料や必需品を買い置いているからだ。

自主的に自宅待機を始める1週間ほど前から、僕らは少しづつ食料の買い置きを始めた。加工牛乳にはじまるロングライフ食材を買い求め、肉類も多く冷凍庫に備蓄した。自宅待機を始めてからも同じ動きをした。僕は長い自宅隔離を意識して、呆れる妻を無視してはビールやワインも大量に買い込んだ。街に出て日本酒までも仕入れた。

わが家は田園地帯にあって買出しには常に車が必要なこともあり、もともと食料を多めに備蓄する習慣がある。それに加えて、友人らを招いて庭でバーベキューをしたり飲み会や食事会などをすることも多い。それに備えての食材の買い置きもごく普通の行動パターンである。元々飲食品の蓄えが多いところに、ロックダウンを意識しての買いだめも進めた。おかげで2ヶ月も閉じこもった今でも、なおかつ食料や飲み物に余裕がある。

それでも野菜や果物などの生鮮品は今日までに3度配達してもらった。住まいのある村のスーパーや食料品店など、営業を許されている生活必需品店は、頼めば宅配サービスをしてくれるのである。そのこと自体は便利だが、実はそこには自ら店に出向いて食材を買う時とは違う不安がある。

店で買い物をするときは、自分の手で商品に触り、仕分けをし、自分で全てを制御する。が、配達の場合は品物の接触も運搬も何もかも全て他人任せだ。従って荷物の受け渡しの際や、あるいは荷物そのものにさえ、スーパーの人混みの中と同様にウイルス感染の可能性があるのではないか、と不安を覚えたりしないでもない。

僕は一歩も外出をせずに読書三昧の暮らしをしている。その合間に執筆をし、料理をして食べ、風呂やシャワーを使い、WEBを巡り、少しだけ妻のおしゃべりに付き合い、日伊英3ヶ国語のニュースを見、読み、聞き、最後にRAI(イタリアのNHK)の夜のニュースをじっくり見ながらワインやビールを飲む、という暮らしを続けている。それは退屈どころか、読書用に1日当たりあと数時間は余計に時間がほしい、とさえ思う日々だ。

繰り返すがイタリアは明日5月4日、ロックダウンの一部を解除する。それに伴い、先ず製造業や建設業などで約450万人の勤め人が仕事に復帰する。段階的解除については賛否両論が渦巻いている。営業再開が遅れる美容業界などは激しく反発。すると即座にそれらの動きに便乗する政治家などが騒がしく声を上げ始めた。また感染者が少ない南部カラブリア州は、6月1日からの営業開始、と国が決めたレストランやカフェなどの飲食店の営業を、明日から許可する、と宣言して物議をかもしたりもしている。

急展開を主張するのは少数派だ。国民の多くは、ここまでの新型コロナの脅威を恐れて、慎重な解除を望んでいる。だがそこは悩ましい状況だ。良く言えば陽気でカラフルな多様性が目覚ましい国、イタリア。悪く言えばジコチューでまとまりのない人々がひしめく国、イタリア共和国である。異を唱え「わが道を行く」と叫んで譲らない者には事欠かない。

新型コロナ以前も不調だったイタリア経済は、2月以来のウイルスとの過酷な戦いによって大きなダメージを受けた。Covid-19にまつわる多くの数字が感染の沈静化を示唆している今、過酷なロックダウンを徐々に緩和して経済を動かし、「自宅待機疲れ」がピークに達している人々のストレスを軽減するのは必要不可欠なことだ。だがそれには飽くまでも、「感染拡大がぶり返した場合には即座にロックダウンに移行する」というコンテ首相の宣言が、担保として付いてまわることを願いたい。




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