
一年でヨーロッパがもっとも輝く季節、6月が始まった。花々が咲き乱れ、木々の緑が増し、日差しが強く多くなって万物がめいっぱいに生を謳歌する。
梅雨でじめじめする日本の感覚では分かりづらいかもしれないが、6月のイタリアも1年でもっとも美しい季節だ。
だがここイタリアを含む欧州は未だに新型コロナ禍の真っ只中にある。それでも-アメリカは混乱し世界の感染状況も予断を許さないものの-つい昨日まで世界の感染爆心地だった欧州は落ち着きつつある。
イタリアの感染者と死者の数は減り続け、スペインは6月に入ると同時に一日の死者数ゼロを記録した。フランスまたそのほかの国々の環境も改善している。欧州で最も感染者と死者の数が多い英国でさえも、一部の学校が再開された。
イタリアは6月3日以降ロックダウンが解除され各州間の人の往来も自由になる。EU域内からの外国人の入国も解禁される。つまり義務化された感染予防策を別にすれば、ほぼ全てが新型コロナ以前の相貌に戻る。
いつもの6月は僕にとっては、ギリシャの海などでの休暇を計画する時期でもある。だがことしは新型コロナのせいで様相がまったく違う。バカンスどころではない気分だ。
それでも、もしかすると状態が良くなって、マスクなども気にせずに旅ができるようになるかもしれない、という希望的観測が胸に湧いたりもする。
そうすると思うのは、やはりギリシャの島々である。南イタリアも良いが、そこよりももっと南の、そして地中海の中でももっと東寄りの、できればエーゲ海などの島がいい。
地中海では、同じ緯度なら西よりも東のほうが気温が高く、空気もより乾いている。そのため光はまぶしく清涼感も高く、なにもかもが輝き白色に染まっているような心地よい錯覚をもたらす。
そのうえ6月はとても日が長く、7月や8月ほどには暑くなく、人出も少ない。人出が少ないから旅や移動や宿泊、また飲食や歓楽などの費用もより安い。いいことずくめなのである。
費用の安さという意味では9月~10月も同じだが、陽光の目覚ましさや万物の命の輝き、などという視点からはやはり夏の初めの6月にはかなわない。
ところがことしは大きな障害があると知った。ギリシャは6月15日から観光客やバカンス客を受け入れるが、新型コロナに襲われたイタリアからの入国は拒否すると発表したのだ。
新型コロナの感染が極めて深刻だったイタリアだから当然といえば当然だが、ちょっとおどろいた。ギリシャにとってイタリア人観光客は上得意だし親しみも強い。
背に腹は変えられないということだろうが、少しさびしい気がしないでもない。日本からの入国はOKなので日本人の僕はギリシャ訪問が可能だ。が、イタリア人の妻が渡航できない。
それでなくてもイタリアに長く住み、イタリアに感情移入することが多い僕は、ひとりでそこに渡ろうとは思わない。イタリアがことし2月、突然新型コロナ地獄に陥ってからはさらにその傾向が強まった。
新型コロナ危機に立ち向かうイタリア国民の強さと、真摯と、勇気と、誠実に僕は強く撃たれた。以来、僕のイタリアへの親愛感はさらに深まった。イタリア国籍は持たないが、僕は心情的イタリア人のつもりにさえなっている。
ギリシャは新型コロナの早期封じ込めに成功した国のひとつである、6月1日現在、感染者は2918人 死者は179人に留まっている。一方イタリアは感染者の累計が6月1日現在233197人、死亡者数33475人にものぼる。
イタリアの新型コロナ危機は先に触れたように落ち着きつつある。3月~4月の状況からは想像もできないほどの劇的改善、と言ってもいい。それでも6月1日の新規感染者数は200人、死者も60人と終息と呼ぶには程遠い情勢だ。
今このときの状相 ではギリシャの措置はきわめて妥当だ。ギリシャは最初の受け入れから2週間後の7月1日に、改めて入国受入れ国の見直しを行う予定。そこではおそらく十中八九の割合でイタリア人もギリシャ入国を認められることになるだろう。
そうなった暁には、僕は9月か10月のギリシャ旅を考えるかもしれない。6月には及ばないものの、ギリシャの9月はまだ夏真っ盛りだ。過去の経験では10月も同じ。7月と8月に比べればむしろ凌ぎやすい夏、というふうである。
いずれにしても7月と8月はイタリアで過ごすのが僕らの慣わし。よほどのことがなければ外国には出ない。イタリアに留まること自体が既にバカンス、という気分でさえいます。なにしろイタリアは国全体が世界有数のリゾート地なのだから。
ことし中にギリシャ旅に出ることがあるなら、それは間違いなく新型コロナが収束したか、それに近い状況になっていることを意味する。ぜひそうなっていてほしいものである。終息まではまだ時間がかかるだろうが。。
ところで、
イタリアのディマイオ外相が、イタリアからの観光客の入国を拒否する、とギリシャが発表したとたんに、ギリシャへの抗議と怒りの声を張り上げた。これには僕は冷笑苦笑するしかない。
そのことについては次のエントリーで語ろうと思う。