アジア人攻撃婆あ2


また白人による有色人種差別のエピソードである。

人種差別への抗議デモがアメリカを席巻しているただ中で、そのことを気にするふうもなく差別行為をする。そういう人々がいる現実が差別の根深さとその撤廃の難しさを示唆している。下にURLを貼付する。
https://edition.cnn.com/2020/06/12/us/torrance-woman-park-video/index.html

今回は白人老婆がフィリピン系米人女性に投げつけた激しい侮蔑語の洪水。場所はアジア系の住民が40%近くを占める米カリフォルニア州の町、トーランス。日本人と日系人がきわめて多いことでも知られている。

老婆は数々の罵声の途中で若い女性に言う。「お前がアジアの何国人かは知らないが、とっとと自分の国へ帰れ!ここはお前の家じゃない!」
被害者の女性はCNNのインタビューに「差別問題は知っていたが、それがまさか自分に向けられるとは考えてもいなかった・・」と話した。

被害者女性の「まさか自分に向けられるとは」という思いは、町に多い日本人や日系人のものでもあるだろう。同時にそれは実は全ての日本人のものでもある。この稿では少しそこにこだわりたい。

老婆が繰り返しののしる「アジア人」から僕が先ず連想したのは、アジア人にはむろん日本人も含まれていて、従って老婆の罵声は一歩間違えば日本人にも向けられる性質(たち)の攻撃、ということである。

つまり日本人は世界の中では飽くまでも有色人種なのであり、人種差別はふとしたことで自分にも向けられかねない害悪、と自覚したほうがいい。日本人差別は過去には多く起こり、現在でも世界各地で散発している。要するに今この時に世界を揺るがせている人種差別問題は、事態の進展によっては日本人の問題にもなり得るのである。

人種差別問題では日本人に特有の現象がひんぱんに立ち現れる。つまり日本の内外には、自らがアジア人ではないと無意識に思い込み行動する日本人や、白人か準白人のつもりでいる日本人もきわめて多く、そのことが影響して日本人が人種差別問題に鈍感になる、ということだ。人種差別問題を対岸の火事と捉える日本人は少しも珍しくない。

ましてやそうした人々にとっては、人種差別問題にからんで「自らが差別される側に回る」事態が起こり得るとは思いもよらないことだろう。だが今このエントリーで取り上げているトーランスの町のエピソードを少し注意深く見てみれば、そうも言っていられなくなるのではないか。

加害者の白人女性は明らかに「アジア人は誰も彼も皆同じ」という意識で被害者女性に罵詈雑言を浴びせている。アジア人ではないと無意識に(あるいは意識的に)思っているある種の日本人は、白人女性の差別感情は自分には向けられていない、と主張するかもしれない。

アジア系住民が多いトーランスは、そのアジア人の中でも特に日本人の比率が高いことで知られている。加害者女性もそのことは十分知っているに違いない。それでも彼女はアジア人はアジアに帰れ、と罵倒するのである。繰り返しになるが彼女の言うアジア人にはむろん日本人も含まれている。われわれ日本人はそこのところを真剣に見つめなくてはならない。

自らがアジア人ではないと無意識に思い込み行動する日本人や、白人か準白人のつもりでいる日本人は特に、なによりも先ず自らがアジア人であるという当たり前の現実を冷厳に認めるべきだ。次に常にそれを意識してアジアの人々と対等に付き合い、その上で彼らと共に欧米を始めとする世界にも「対等」な付き合いを要求していくのだ。世界のそこかしこで今回と類似の問題が発覚する度に痛切にそう思う。

それなのに日本には、人種差別主義者のトランプ大統領の太鼓もちに徹する首相がいて、その太鼓もちの動静を喜ぶネトウヨ排外差別主義者や、表は黄色いのに中身が白くなった「アジア蔑視主義者のバナナ国民」が横行している。そんな状況では世界の人種差別問題の意義どころか、そのことに関心さえも抱かない国民が多いのではないか、と危ぶむ。

今世界で巻き起こっている人種差別問題、とくに「黒人差別」問題がよく理解できない人、あるいは実感できない人は、それをまず「アジアと日本」また「アジア人と自分」などの土俵に引き入れて考えてみたらどうだろうか。身近な国や国民との比較で考えれば、あるいは理解が深まるかもしれない。とは言うものの、自らをアジア人と感じない日本人にとってはそれもまた無意味なのだろうが。

日本国内に住んでいる日本人には人種差別問題が中々実感できないことは理解できる。またここイタリアのように親日の人々が多い国に住む者にとっても、居心地が良い分やはり人種差別問題を身近に引き寄せ実感することが難しくなる。むろんこの国にも日本人が嫌いな者はいる。だが人は自分を嫌う他人とはあまり付き合わない。そのため周囲にはますます日本好きのイタリア人ばかりが集うことになる。僕自身の場合もそうだ。

そうではあるものの同時に、故国の外にいる分だけ問題により敏感に反応するのもまた事実だ。今動乱の渦中にあるアメリカははもちろん、欧州でも英仏を筆頭に人種差別問題は頻発する。ここイタリアも例外ではない。多人種が共存する場所では残念ながら避けて通れない課題だ。

そこでは日本人は欧米の人々との友誼を堅持し深化させつつ、自らのアジア人としてのアイデンティティーも直視し続けなければならない。それがぶれることなくまた恐れることなく人種差別問題に対峙する秘訣だ。なぜなら他人種の人々は、表は黄色いのに中身が白いという得体の知れないバナナ的人間よりも、表と中身が一致した本物の、正直な人間を信頼し尊重するものだからである。



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