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イタリアがふいに新型コロナに襲われて、外からの援助も一切ないまま世界一のコロナ地獄の中で呻吟していたころ、僕は「日本は即刻、イタリアの轍を踏まない準備に走るべき」というタイトルの記事で故国の注意を促し、その後もことある毎に国の外から見た意見や感想を述べてきた。

イタリアは最悪の状態を「いったん」抜け出して落ち着いている。ところが深刻な危機には陥らなかった日本は、小休止のあと、思いがけなくも第2波の到来か、と誰もが不安になるほどの感染拡大の時間を迎えている。

僕は個人的に第2波は必ずイタリアも日本も襲うと考えてきた。だからそれがやって来たらしいことには驚かないが、イタリアの前に日本が第2波に見舞われるなら少し意外な感じがしないでもない。

日伊双方はロックダウンを解除して―「緊急事態宣言」 というのは同調圧力を罰則とする日本式ロックダウンである―社会経済活動をほぼ通常に戻した。従って今は国民の感染防止策への気の入れ方と責任ある行動の有無が結果を左右する。

そして3密を意識して国民が慎重に動くという観点では、イタリアよりも日本のほうがはるかに国民の意識が高く信用できる。それなのに日本が先に第2波に襲われるのは、イタリアが2月21日を境に突然コロナ地獄に落ち込んだ事件と同じ、とまでは言わないが結構な驚きだ。

2020年7月19日現在の感染状況は、イタリアよりも日本のほうが深刻である。数字で言えば7月19日の日本の新規感染者数は662人、一方イタリアのそれは249人。ここしばらくは常に日本の新規感染者数が多い。しかも一日あたりの検査数は依然としてイタリアが勝っているので、数字のギャップはさらに大きい可能性がある。

しかし数字の現況はほとんど意味を成さない可能性もまたある。イタリアが全くふいにコロナ感染地獄に突き落とされた2月21日、国内の感染者はたった3人だった。そのうち2人はイタリア旅行中の中国人夫婦。もう1人は武漢から政府専用機でイタリアに帰国した56人のイタリア人のうちの、若いイタリア人男性。3人はローマで隔離されてほとんど何の問題もなかった

一方、日本は当時、クルーズ船乗客を含めて80人前後の感染者を抱えていた。日本のほうがはるかに深刻に見えた。しかし、周知のように情勢は一気に逆転し、イタリアは2月21日を境に文字通り世界一のコロナ地獄国へと転落。片や日本は感染者数も死者数も少ない幸運な国のひとつであり続けている。

だが7月後半の今は、東京を筆頭に日本の新型コロナ感染者が急速に増えている。それは第2波の襲来か否かという観点ではなく、第1波が継続していて人の移動が活発になるとともにウイルスの活動も旺盛になった、と言うほうが正しいのではないかと僕は考えている。

第2波の襲来と言うと、あたかも日本がウイルスを一度押さえ込んだように聞こえる。また実際にそう考える人も多くいる。これまで感染爆発が起きなかった事実や死者数が極端に少ない点などを勘案すれば、そう捉えることもできるかもしれない。

だがCovid-19による死者が少ないのは―あくまでも個人的な感想で専門的知見によるものではないが―日本の対策が効を奏したからではないと僕は思う。また結核ワクチンBCGの接種の影響や日本人が過去に新型コロナに類似したウイルスに感染して免疫を得た説など、専門家の見解もいくつか出回っている。だがどの説も科学的に証明されてはいない。

単に日本が運が良かっただけ、という考え方もある。その可能性は50%ほどの確率でありそうに見える。ともあれその不思議については、今後科学的な究明が進むだろう。大きな謎が科学の分野で残るわけだが、コロナ対策をめぐる日本の政治もそれに負けないくらいに大きな謎だ。

つまり、感染拡大を押さえ込むよりも、国民の社会経済活動、特に経済活動を優先させたい政治の思惑ばかりが堂々とまかり通るのが不思議だ。それは決して経済を無視して言うのではない。経済は重要だ。経済困窮で死者が出かねないという議論さえも理解できる。

だが経済をうまく回しつつ感染拡大も防ぐ、というのは世界中のあらゆる国が掲げる理想ながら、これまでのところ誰もそれに成功していない。日本政府は本気でそれに挑む覚悟と知恵をもっているのだろうか?僕にはとてもそうは見えない。覚悟も知恵もおざなりだ。

アメリカは再選を目指したいトランプ大統領の思惑で経済優先策が取られ、コロナの感染拡大と死者の山が築かれている。またブラジルではボルソナーロ大統領が、アメリカよりも強権的な手法が取りやすい政治土壌をいいことに、経済ファーストと叫んでやりたい放題に振舞って、これまたアメリカ以上の惨状を招いている。

一方日本では、経済の専門家といえば聞こえがいいが、金の計算に余念がない守銭奴の専門家や御用学者らが、例によって世界の情勢を見ようともせずに、日本の経済の落ち込みばかりを言い立てて社会不安をあおる。

そんな折に専門家に輪をかけた拝金主義者の政治屋がよってたかってさらに日本社会の強欲度をあおり、経済の効率を高める政策のみを推し進めようと画策する。経済が停滞すればCovid-19による死者よりもはるかに多くの国民が死亡しかねない、とさえ彼らは主張する。

それには一理あるが、経済不安のみを一方的に強調する論はまやかしだ。日本はコロナ禍に見舞われている世界の国々の中では、経済的にはきわめて恵まれている。日本の経済的な傷は浅いのだ。たとえばここイタリアを見れば良い。コロナの猛襲を受けて前代未聞のロックダウンをかけたこの国の経済は壊滅的な打撃を受けた。

イタリアはもともとG7国の中では最悪の経済状況に悩まされてきた。そこにコロナ禍がやって来て経済はいよいよ落ち込んだ。だがそれは多かれ少なかれ欧州の全ての国に当てはまる現実だ。イタリア以上の落ち込みを見せるのは、10年前の欧州ソブリン危機の後遺症に悩むギリシャやスペインなどに限られはするものの、英独仏の経済大国でさえも巨大なダメージを受けたのだ。

アメリカでさえ経済危機に陥っている。それらに比較すれば日本の状況ははるかに良いのだ。自粛という名の下に社会経済活動に規制をかけた日本では、経済活動が完全にストップすることはなかった。経済はむろん落ち込んだ。だがもう一度言う。日本経済は世界の中ではとても幸運な部類に入っている。

少々の経済の停滞や空腹が国民に死をもたらすことはない。日本は経済の停滞と結果としての国民の少しの空腹でさえも覚悟で新型コロナの封じ込めに専心するべきだ。日本は以前、それを怠った。少なくともPCR検査を徹底しなかったことで、市中に潜むおびただしい数のウイルス、即ち無症状の感染者を見過ごした可能性がある。それが現在の感染者の増大につながっているのかもしれないのだ。

死者が少ない日本の現実は幸いだ。そのわけは今後科学が解き明かすだろう。それは胸がわくわくするほどの好奇心を誘う謎だ。だが今このときは、その幸運をうまく利用して経済を伸ばすことではなく、「幸運を利用して幸運をさらに強化する」方法を考えるべきだ。つまり、さらなる経済の落ち込みを覚悟しての感染防止策を採ることだ。

早く言えばロックダウンかそれに近い厳しい規制を導入する覚悟を決めること。むろん日本式ロックダウン即ち「緊急事態宣言」でも構わない。国民の自粛に頼る手法は、日本社会の後進性、未開性を端的にあらわすもので不快だが、背に腹はかえられない。

1918年に始まった「スペイン風邪」の大流行時には、アメリカ国内の都市のうちロックダウンを素早く強烈に長期間行ったところほど、パンデミック終結後の経済回復が早かった、という研究もある。時代も経済状況も違うものの含蓄に富む内容だ。だからという訳ではないが、僕はここでも前回と同じように「日本政府は断固とした政策を取れ」と主張したいのである。



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