【“ピアッツァの声”から転載】
以前、日本のオヤジ世代にはスパゲティをパスタと言うと怒る者がいると聞いて、新聞雑誌などにそのことに対する筆者の意見を書いたことがあります。
あれから少し時間が経ち、もはやパスタという語は日本人の誰にも違和感なく受け入れられているのではないか、と思ってきました。
ところが、今日でもやはりその言葉に― 反発とまではいかなくとも ― しっくりこないものを覚える中高年の男たちが存在すると知りました。
それらの人々はきっとパスタという言葉に、気取りや若者言葉のような軽さを感じてむかつくのだろうと思います。
筆者もれっきとしたオヤジで、しかも言葉が気になる類の人間ですから、日本に住んでいたなら「パスタ」という新語(?)には彼らのように反感を抱いていたかもしれません。
ところがイタリアに住んでいるおかげで、日本における「パスタ」という言葉の普及には腹を立てるどころか、少し大げさに言えば、むしろ快哉を叫んでさえいます。
「パスタ」とは、たとえて言えば「ごはん」というような言葉です。麺類をまとめて言い表す単語。スパゲティを気取って言っている表現ではありません。
スパゲティは多彩なパスタ(麺)料理のうちの一つです。つまり、焼き飯、かま飯、炊き込みご飯、雑炊、赤飯、茶漬け、おにぎりなどなど・・、無数にある「ごはん」料理の一つと同じようなものなのです。
焼き飯や雑炊を「ごはん」とは言いませんが、イタリアには個別のパスタ料理を一様に「パスタ」と呼ぶ習慣もあります。スパゲティも日常生活の中では、単にパスタと呼ばれる割合の方が高いように思います。
従ってスパゲティを「パスタ」と呼ぶのは正しい。
筆者はここで言葉のうんちくを傾けて得意になろうとしているのではもちろんありません。
おいしくて楽しくて種類が豊富なイタリア料理の王様「パスタ」を、スパゲティだけに限定しないで、多彩に、かろやかに、おおいに味わってほしいという願いを込めて、日本中の傷つきやすいわがオヤジ仲間の皆さんに、エールを送ろうと思うのです。