気狂いピエロ+トランプ合成


新型コロナに感染して入院中のトランプ大統領が10月4日、警護のSPを始めとするスタッフをコロナ感染の危険にさらしつつ、病院を抜け出して車で支持者の前に姿を現し物議をかもした。

さらに翌日には、退院してホワイトハウスに戻り、集まった報道陣にマスクを外してテラスから手を振って見せた。新型コロナに感染したものの、病気は大したことではない、と虚勢を張ったのである。

トランプ大統領は、かねてから新型コロナの脅威を軽視して国民をミスリードし、結果20万人以上の米国民が死亡した。感染拡大は今も全く収まる気配がない。

国民が苦しみ、自らが病気に掛かってもコロナは大したことではない、とツッパる大統領に「無責任だ」という罵声が飛び、前日以上の大論争が巻き起こった。

だが全く懲りない大統領はさらに、支持者に向けて「新型コロナを恐れるな」「コロナに生活(人生)を支配されるな」などとツイッターで吼えた。

その気丈は悪くないとは思うが、彼の支持者に代表される蒙昧な人々の軽率な行動が、感染爆発の原因の一つとされる中では、その投稿もまた大統領の対コロナ政策の失態と見なされるべきだろう。

そればかりではなく、トランプ政権中枢の幹部らも次々に感染していることが明らかになっている。それはひとえに、ボスのトランプ大統領が新型コロナを侮り続けたツケだ。

大統領が感染防止を無視した行動を取ったことによって、アメリカで最も重要な建物のひとつであるホワイトハウスは、感染拡大の爆心地の一つになっている可能性さえある。

ただひたすら選挙に勝つこと、つまり権力に固執するのみで、国民はおろか周囲のスタッフがコロナに感染する危険さえ顧みないモノマニアが、また奇態をさらした、というところか。

昔、「気狂いピエロ」というフランス・イタリア合作の映画があった。監督はジャンリュック・ゴダール。フランソワ・トリュフォー、アラン・レネなどと並び称される仏ヌーベルバーグの旗手である。

一世を風靡した作品では、名優ジャンポール・べrモンド演じる主人公のピエロが、退屈な日常をかなぐり捨てて愛人とともに逃避行をする。カップルは殺人事件に巻き込まれたのだ。

斬新な色彩感覚と、みずみずしい言葉の遊びが画面いっぱいに弾ける前衛的な映画のテーマの一つは、「アメリカへの反発」だった。

ゴダールらヌーベルバーグ世代の人々が、正義と希望の象徴として敬愛してきたアメリカが、当時ベトナムで戦争を仕掛け彼の地で暴虐の限りをつくしていた。作品にはそのことへの失望と怒りが込められていた。

あれから半世紀余りが過ぎた2016年、映画とはなんの関係もないことだが、アメリカへの僕の100年の恋もトランプ大統領の誕生によってすっかり冷めてしまった。

ネトウヨヘイト系排外差別主義者、トランプ大統領への不信感も大きいが、彼を大統領に押し上げたアメリカ国民に僕は激しく幻滅したのだ。

アメリカは今あるアメリカが偉大なのではない。アメリカ国民がこうありたいと願い夢見る理想のアメリカが偉大なのである。

アメリカには不平等や人種差別や貧困にとどまらず、ありとあらゆる不幸が存在する。アメリカはそれらの解消に向けて動き、戦い、前進してついには理想の国家を構築する。

理想の国家では自由と民主主義と機会の均等と富裕が、人種の如何にかかわらず全ての国民に与えられる。アメリカが素晴らしいのはその理想を掲げ、理想に向かって歩む姿である。

理想的なアメリカ合衆国は、実は理想に向かって国民が「行動する」過程の中にこそある。それはトランプ大統領が叫ぶ「強いアメリカ」とはほぼ対極のコンセプトだ。

だがアメリカは、その理想とは相容れないドナルド・トランプという怪異を大統領に選んだことで、大きく変質した。アメリカはもはや理想を追いかける「理想の国」ではなくなったように見える。

再選を目指しながら自らの失態の連鎖に気づいたトランプ大統領が、周章狼狽し、まろび、泡を食って必死に足掻けばあがくほど、アメリカの混乱と堕落と無気力が奔出するように僕には見える。

たとえ彼が落選しても、アメリカへの幻滅感は癒されない。信頼の構築には膨大な時間がかかる。だが、崩壊は一瞬である。そして壊れた信頼の再構築には、以前に倍する時間がかかる。

「理想のアメリカ」を見失ったアメリカへの僕の失望感は、傑作映画「気狂いピエロ」に込められたアメリカへの怒りに似ている。

そこで僕は、新型コロナを軽視し且つ「理想のアメリカ」像を破壊し続けるトランプ大統領には、「狂信的な道化師」という意味で、映画のタイトルと同じフレーズをそっくりそのまま進呈しておこうと思う。



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