renzi-up醜笑


2020年、イタリアは自由主義社会で初めて新型コロナ地獄に陥り辛酸を舐めた。そこでイタリアを破滅から救い出したのが当時のジュゼッペ・コンテ首相だ。大学教授から突然宰相に抜擢された彼は、初めの頃こそ周囲の政治家連の操り人形と批判されたりした。

しかし2019年8月、連立政権の一角を成す極右の「同盟」が離脱を決めたとき、同党の強持てのサルビーニ党首を「ジコチューで無責任」と面前で厳しく批判して男を上げた。サルビーニ党首は、右派への支持率が高まったのを見て、極左の「五つ星運動」との連立を解消し、総選挙に持ち込んで右派連合の政権を樹立しようと画策したのだった。

半年後の2020年2月、イタリアは新型コロナの感染爆発に見舞われた。医療崩壊が起きて死者の山が築かれるなど、事態が制御不能に陥った。そこで全土ロックダウンという前代未聞の策を躊躇なく導入して、パンデミックに立ち向かったのがコンテ首相だった。

コンテ首相は、見習うべき手本のない暗闇の中で果敢に立ち上がり、国民に忍耐と連帯と分別ある行動を呼びかけ、過酷な全土封鎖策を受け入れさせた。阿鼻叫喚の恐怖の中で、国民は首相の誠実と熱意と勇気に鼓舞された。

しかし、パンデミックが依然として続く2021年1月、政界の「壊し屋」と異名されるマッテオ・レンツィ元首相が率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が、連立政権からの離脱を表明した。それはレンツィ元首相の独善による反乱だった。

コンテ内閣は一気に危機に陥った。レンツィ元首相は、EU(欧州連合)からイタリアに与えられるコロナ復興資金の使い道が不透明だとして、コンテ首相に詰め寄ったのである。彼の主張にはいろいろともっとっもらしい理由がつけられたが、要するにそれは「俺にも金を寄越せ」という我欲の表明に過ぎない、と批判された。

その批判は当たっていると思うが、同時にレンツィ元首相は、コンテ政権を支える極左の「五つ星運動」が、EUからの復興基金を思いのままに食いつぶすことを恐れた部分もあるのではないか、とも僕は推察する。

腐敗政治家や無能で古い諸制度を厳しく批判する「五つ星運動」の主張には、目覚ましいものもある。しかし彼らにはそれに代わる明確な案がほとんどない。あっても荒唐無稽なものが多い。復興資金を集票のためのバラ撒きに使う可能性も大いにあると思うのである。

それにしてもイタリアはー世界中の多くの国と同様にー依然としてパンデミックのまっただ中で呻吟している。コンテ首相の優れたリーダーシップによって、既述のように第1波時の最悪の状況は切り抜けたが、危機は決して終わってはいないのだ。

そんな中で政局を混乱に導いたレンツィ元首相には、多くの厳しい批判が浴びせられた。当然のことだ。

彼の反乱の真の目的は、存在感が薄らいでいく一方の党と自分自身に世間の耳目を集めて勢いを得たい、ということだと見られている。同時に元首相は恐らく、政治家としてはずぶの素人だったコンテ首相が、鮮やかな力量を発揮して国民の圧倒的な支持を集めている事実に嫉妬したのではないか、とも僕は考えている。

レンツィ元首相は、自信過剰で鼻持ちならない言動でも有名な政治家だ。34歳の若さで出身地のフィレンツェの市長に選ばれ、さらに当時イタリア最大の民主党の党首に抜擢された後、若干39歳で首相にまで上り詰めた。その輝かしい経歴が、彼の鼻をピノキオのそれの何十倍もの高さに押し上げてしまったようだ。

そんな人物には時節や社会状況や国民の動向など関係がない。彼が奉仕して然るべきそれらの要素は、レンツィ元首相にとってはむしろ逆に「自分のために存在するもの」になってしまっているのだろう。かくして彼は、時節などわきまえず、自己満足のためだけにコンテ第2次内閣を倒して、イタリアを政治危機の中に投げ込んだ。

しかしコンテ首相への議会の支持は強いものがあった。レンツィ・グループの反乱にもかかわらず、コンテ内閣はイタリア下院で絶対多数の信任を得た。しかし、下院と全く同等の権限を持つ上院では絶対多数ではなく、出席議員のうちの多数である単純多数での信任に留まった。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのだ。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味する。それでは予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高くなる。危機感を抱いたコンテ首相は1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出した。

その動きは予期されたものだった。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めてその同じ大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いである。それはイタリアの政治システム下ではごく真っ当なプロセスだった。

辞任した首相が新たな上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を船出させる、というのは誰もが予想した展開だった。コロナ渦の緊急事態の最中では、それが最善の成り行きのように見えた。だが事態は急転回し、コンテ政権は崩壊してマリオ・ドラギ内閣が発足した。

我執にからめとられたレンツィ元首相の行為は許しがたいものだ。

しかし、少し引いて事態を眺めた場合、あるいは政変はイタリアのために良いことだったのではないか、とも僕は考える。なぜなら過激な主張の多い「五つ星運動」が、EU復興資金に目が眩んで破滅的な経済政策をゴリ押しし、コロナ禍で深く傷ついたイタリア経済をさらに痛めつける可能性が低くなったからだ。

コンテ首相は、コロナ第1波の地獄の最中には「五つ星運動」の強い支えもあって、ロックダウンという過酷な策を成功させた。しかし今後は経済の建て直しがイタリアの最大の課題になる。彼の政権が続いた場合コンテ首相は、政治経済ともに素人の「五つ星運動」に引きずられて大きな瑕疵を犯す可能性もあった。

従って経済の専門家であるマリオ・ドラギ氏に政権のバトンタッチが行われたのは、あるいは僥倖だったのかもしれないとも思う。そうすると、万死に値するとも見える大きな政治混乱を招いたレンツィ元首相は、巡りめぐってイタリアの救世主でもある、というややこしい結論にもなりかねないのである。



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