イタリアでまた政権が変わった。1月26日にジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、ほどなくマリオ・ドラギ内閣が誕生した。イタリアではひんぱんに内閣が倒れ政権が交代する。よく日本の政治状況に似ていると言われるが実は大きく違う。イタリアでは政治危機の度に大統領が大きな役割を果たすところが特徴的である。
国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出される。普段は象徴的な存在で実権はほとんどない。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有する。大権だからそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ない。
今回の政変は1月13日に起きた。コンテ内閣の一角を担っていたレンツィ元首相率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が、連立政権からの離脱を表明した。それによって、昨年の新型コロナ第1波の地獄を乗り切り国民の強い支持を受けてきたコンテ内閣が、一気に倒壊の危機に陥った。
しかし、レンツィ派の造反にもかかわらず、コンテ首相への支持は強いものがあった。反乱後の信任投票でコンテ内閣はイタリア下院の絶対多数の信任を得た。一方で下院と全く同等の権限を持つ上院では、出席議員の過半数を僅かに超える単純多数での信任にとどまった。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのである。
僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味し、予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高まる。危機感を抱いたコンテ首相は、冒頭で触れたように1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出する。この動きは予期されたものだ。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めて大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いだった。それはイタリアではごく自然な動きである。
コンテ内閣は世界最悪とも言われたコロナ危機をいったん克服はした。だがイタリアは依然として、パンデミックの緊急事態の最中にある。今の状況では、コンテ首相が辞表を出して大統領の慰留を引き出すのが得策。その上で新たに上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を発進させる、というのが最善の成り行きのように見えた。それが大方の予想でもあった。
しかし、マタレッラ大統領が「非常事大権」を行使して状況を急転させた。大統領はコンテ首相に新たに連立政権工作をするよう要請する代わりに、ロベルト・フィーコ下院議長にそのことを指示したのだ。フィーコ議長は議会第1党の五つ星運動の所属。五つ星運動は議会最大の勢力ながら政治素人の集団である。フィーコ氏には党外での政治的影響力はほとんどない。
コンテ内閣の再構築を念頭に各党間の調整を図る、というフィーコ下院議長の連立政権工作はすぐに行き詰まる。するとマタレッラ大統領は、まるでそれを待っていたかのように前ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出した。「非常事大権」を意識した大統領の動きは憲法に則ったもの。誰も異議を唱えることはできない。
大統領のその手法は、見方によっては極めて狡猾なものだった。なぜなら彼はそこで一気にコンテ首相の再登板への道を閉ざした、とも考えられるからだ。そうやってイタリアの最悪のコロナ地獄を克服した功労者であるコンテ首相は、マタレッラ大統領によって排除された。
少し脇道にそれて背景を説明する。マタレッラ大統領はコンテ政権内で反乱を起こしたレンツィ元首相と極めて親しい関係にある。2人はかつて民主党に所属していた仲間。加えてマタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選した。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実である。
また彼ら―特にレンツィ元首相―が左派ポピュリストの五つ星運動と犬猿の仲であることもよく知られている。コンテ首相は五つ星運動所属ではないものの同党に親和的。マタレッラ大統領にはそのことへの違和感もあったのではないか。そこにコンテ首相の排除を望むレンツィ元首相の影響も作用して、政変の方向性が決定付けられたのだろう。
そればかりではない。大統領とレンツィ元首相は強烈なEU(欧州連合)信奉者だ。その点はECB(欧州中央銀行)前総裁のドラギ氏ももちろん同じ。しかもレンツィ氏とドラギ氏も親密な仲である。次期イタリア首相候補としてドラギ氏を最初に名指したのも実はレンツィ元首相なのだ。
かくてEU主義者のマタレッラ、レンツィ、ドラギの3氏が合意して、反EU主義政党である五つ星運動に支えられたコンテ首相を排除する確固とした道筋が出来上がった。マタレッラ大統領は彼の持つ「非常時大権」を縦横に行使してその道筋を正確に具現化した。
国家元首であるイタリア大統領は、既述のように上下両院の合同会議で全議員及び各州代表によって選出される。普段はほとんど何の実権もないが、政府が瓦解するなどの国家の非常時には、あたかもかつての絶対君主のような権力行使を許され、機能しない議会や政府に代わって単独で役割を果たす。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのだ。
例えば2011年11月、イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ内閣が倒れた際には、当時のナポリター ノ大統領が彼の一存でマリオ・モンティ氏を首相に指名して、組閣要請を出した。そうやって国会議員が一人もいないテクノクラート内閣が誕生した。
また2016年、レンツィ内閣の崩壊時には現職のマタレッラ大統領が外相のジェンティローニ氏を新首相に任命。ジェンティローニ内閣はレンツィ政権の閣僚を多く受け継ぐ形で組閣された。そして泥縄式の編成にも見えたその新造の内閣は、早くも3日後には上下両院で信任された。
2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使した。政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に、首班を指名して組閣要請を出した。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣である。コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となりマタレッラ大統領が承認した。
政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムをイタリア共和国が採用しているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからだ。
議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければならない。議会が解散されれば次は総選挙が実施される。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担う。その場合は大統領は、政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済む。それが平時のイタリア大統領の役割である。
しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は一気に存在感を増す。イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない、微妙且つ重大な時間なのである。