先日辞任したイタリアのジュゼッペ・コンテ首相が、「五つ星運動」に入党するよう熱心に誘われ、その気になっているようだ。
入党と言っても、党を率いてくれるように創始者のベッペ・グリッロ氏と幹部に頼まれたのである。
「五つ星運動」の支持率は低迷している。一方、彼らの支えで1月まで政権を維持したコンテ前首相の人気は未だ衰えない。
「五つ星運動」はコンテ人気を利用して浮上したい。片やコンテさんにも政治の世界でもう一度脚光を浴びたい気持ちがあるかもしれない。
コンテ前首相は2018年6月、大学の法学教授から突然宰相に抜擢された。
彼は「五つ星運動」に担がれ、これを連立相手の「同盟」が受け入れた。「五つ星運動」と「同盟」は、左右のポピュリスト、と称されるように考え方や主張が大きく違う。
加えて両党はどちらも自らの党首を首相に推したい思惑もあり、折り合いがつかなかった。そこにコンテ氏が出現。
「同盟」は政治素人の彼を組しやすいと見て首相擁立に同意した。
議会第1党の「五つ星運動」と第2党の「同盟」の妥協で誕生したコンテ首相は、初めのうちこそ2党の操り人形と揶揄されたりした。だが、時間と共に頭角をあらわした。
コンテ首相はバランス感覚に優れ、清濁併せ呑む懐の深さがあり、他者の話をよく聞き偏見がないと評される。
彼のリーダーシップは、「同盟」が連立を離脱したとき、同党のサルビーニ党首を「自分と党の利益しか考えておらず無責任だ」と穏やかに、だが断固とした言葉で糾弾した時に揺るぎ無いものになった。
そして2020年はじめ、世界最悪と言われたコロナ地獄がイタリアを襲った。
コンテ首相は持ち前の誠実と優れたコミュニケーション力で国民を励まし、適切なコロナ対策を次々に打ち出して危機を乗り切った。
するとことし1月、コンテ政権内にいたレンツィ元首相が反乱を起こして倒閣を画策。第3次コンテナ内閣が成立するかと見えたが、政権交代が起きてドラギ内閣が成立した。
2018年の政権樹立から2021年1月の政権崩壊まで、「五つ星運動」はコンテ首相を支え続けた。しかし、党自体の勢力は殺がれる一方だった。
「五つ星運動」は政権運営に不慣れな上に内部分裂を続けた。ディマイオ党首が辞任するなどの混乱も抱えた。
そこにコンテ首相の辞任、ドラギ新内閣の成立と、「五つ星運動」にとってのさらなる危機が重なった。
そうした情勢を挽回する思惑もあって、五つ星運動の生みの親グリッロ氏は、コンテ前首相に党首かそれに匹敵する肩書きで同党を率いるように要請した。
コンテ氏が五つ星運動のトップになれば、彼自身の政治家としてのキャリアと五つ星運動の党勢が大きく伸びるかもしれない。
逆に情勢によっては両者が失速して政界の藻屑となる可能性も高い。
「ほぼ革命に近い変革」を求める五つ星運動を、その気概を維持したまま「普通の政党」に変えられるかどうかがコンテ前首相の課題である。
五つ星運動は2018年の選挙キャンペーン以来、先鋭的な主張を修正して穏健な道を歩もうとしている。EU懐疑主義も捨てて、ほとんど親EUの政党に変貌しつつある。
「五つ星運動」はコンテ政権と引き換えに誕生したドラギ内閣を信任した。それは彼らが、彼らの言う「体制寄り」に大きく舵を切ったことを意味する。それが原因で同党はさらに混乱し造反者も出た。
そうやって五つ星運動はまた分裂し党勢もますます殺がれた。落ち目の彼らの希望の星がコンテ前首相なのである。
穏健になり過ぎれば、彼らが攻撃の的にしてきたイタリアの全ての既成勢力と同じになる。一方で今のまま先鋭的な主張を続ければ党は生き残れない。
五つ星運動は特に経済政策で荒唐無稽な姿をさらすが、弱者に寄り添う姿勢の延長で、特権にどっぷりと浸っている国会議員の給与や年金を削る、とする良策も推進している。
またベルルスコーニ元首相に代表される腐敗政治家や政党を厳しく断罪することも忘れない。2018年6月の連立政権発足にあたっては、連立相手の同盟にベルルスコーニ氏を排除しろ、と迫って決して譲ることがなかった。
コンテ前首相は、五つ星運動のトップに就任した場合、同党の過激あるいは先鋭的な体質を、いかに穏やかな且つ既成の政治勢力とは違うものに作り変えるか、という全く易しくない使命を帯びることになる。