狭石回廊切り取り


今日3月8日は女性の日。ここイタリアでは、ミモザの花がシンボル。女性祭り、ミモザ祭りなどとも言う。

女性の日は元々、女性解放運動・フェミニズムとの関連が強い祭り。20世紀初頭のニューヨークで、女性労働者たちが参政権を求めてデモを行なったことが原点である。

昨年の今日、僕は次のようにブログに書いた。


2020年3月8日AM8時現在のイタリアのCovid19死亡者は233人。感染者の総数は5883人に上る。それは韓国に次ぐ世界3番目の数字。だが死亡者数は韓国よりも多い。

感染の拡大が止まないことを受けてイタリア政府は、ロンバルディア州全体とその近隣の北部の州、14県の封鎖・隔離を決定した。

合計約1600万人の住民が4月3日まで居住地域からの移動を禁止され、違反者には3ヶ月の禁固刑が科されることになった。

ロンバルディア州内に住む僕も州境を超えての移動ができなくなった。


女性の日については言及しなかった。あるいは言及できなかった。

3月8日の女性の日は例年、僕の中では実は東日本大震災とセットになって記憶されている。

こんな体験をしたからだ。

2011年3月11日、僕はイタリアにおける女性の日についてブログに書こうと考えてPCの前に座った。

日遅れのミモザ祭り」とか「フェミニズムとミモザの花」とか「ミモザって愛のシンボル?闘争のシンボル?」・・などなど、いつものようにノーテンキなことを考え始めた。

 そこに東日本大震災のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕は、東北が大津波に飲み込まれる惨劇の映像を日本とのリアルタイムで見た。

息を呑む、という言葉が空しく聞こえる驚愕のシーンがえんえんと続いた・・

 そうやって38日の女性の日は、僕の中で、日付が近いという単純な話だけではない理由から東日本大震災と重なり、セットになって住み着くことになってしまった。おそらく永遠に(僕が生きている限りという意味で)。

だが僕のその感慨はその場限りの感傷にすぎないことが明らかになった。

なぜなら僕は新型コロナパンデミックが世界を席巻した昨年、3月8日の女性の日も3月11日の大震災の日も気持ちのうえでスルーしたからだ。

忘れていたわけではない。特に東日本大震災のメモリーは確かに僕の脳裡に去来した。だが目の前の巨大な不安が全ての記憶や思念を脇に押しやっていた。

イタリアは2020年2月21日から23日にかけて新型コロナの感染爆発に見舞われた。それは日ごとに悪化して、感染発祥地とされる中国の武漢など比較にもならない阿鼻叫喚の地獄絵が展開された。

感染拡大を抑える目的で北部地域限定のロックダウンが敷かれ、それは徐々に拡大された。

そして3月10日、ついにイタリア全土が封鎖されるという前代未聞の事態になった。

イタリア北部は最大最悪の被害を受けた。医療崩壊が起こり、埋葬しきれないコロナ犠牲者の遺体が、軍用トラックで列を成して運ばれるという凄惨な状況まで出現した。

そのイタリア北部ロンバルディア州の、ブレッシャ県に住む僕の周りでは、高齢の親族や友人知己が次々に亡くなっていった。

ブレッシャ県は隣のベルガモ県と共に、ロンバルディア州所属の12県の中でも最も被害が大きく、感染爆心地中の爆心地と見なされていた

加えて僕は年齢が高リスク圏とされる年代の入り口あたりに差しかかっている。且つ基礎疾患があるため感染すれば重症化する可能性が高かった。

それやこれやでコロナ地獄は全く他人事ではなかった。

そんなわけで2020年の女性の日と東日本大震災の記念日は、あたかも存在しないものでもあるかのように時間の流れの中に埋没していった。

2021年は、今日の女性の日も、3日後の大震災も、そしてあらたに加わったイタリア全土ロックダウン記念日の3月10日も、こうして次々に思い起こしている。

少なくとも記憶を振り返り、感慨にふけるだけの心の余裕がある。

ならば、コロナ禍が沈静化したのかというと全くそうではない。イタリアの状況も、ここに似た欧州全体の様相も、収束どころかむしろ悪化しているほどだ。

ワクチンが行き渡らない限り、感染者も死者も増え続け、経済社会生活の落ち込みも回復しないだろう。

そんな中でも女性の日や、大震災のメモリーや、ロックダウンの記憶に思いが行くのは、単にコロナパンデミックの辛酸に身も心も慣れ切ったということにすぎない。

不幸は続いている。不幸の中でも、しかし、前を向いてポジティブに生きよう、と今さらのように思うばかりである。




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