菜園を耕すようになって10年あまりがたちました。
野菜作りはおいしい食料の獲得、という実利以外にも多くのことを教え、気づかせてくれます。
菜園耕作者はいやでも季節の変化に敏感になり、野菜たちの成長や死滅に大きくかかわる気候変動に一喜一憂します。
彼らは風気の多情に翻弄されつつ、育児のように甲斐甲斐しく野菜たちの世話を焼きます。
菜園作りでもっとも嬉しいのは、育った野菜の収穫です。
そしてもっとも感動的なのは、土中で目覚めた芽が「懸命に」背伸びをし肩を怒らせ、せり上がって土を割る瞬間。
すなわち大地の出産。
いつ見ても言葉をのむ劇的な光景です。
出産できない男がそこに感服するのは、おそらく無意識のうちに「分娩の疑似体験」めいたものを感じているからではないか。
自ら耕やし、種をまき水遣りをして大切にはぐくむ過程が、仮想的な胚胎の環境を醸成して、男をあたかも女にします。
そして男は大地とひとつになって野菜という子供を生みます。
それはいうまでもなく「生みの苦しみ」を伴わない出産です。
苦しみどころか生みの喜びだけがある分娩です。
だが楽で面白い出産行為も出産には違いありません。
一方、女性も、菜園の中では男と同じように「命の起こりの奇跡」を再び、再三、繰り返し実体験します。
真の出産の辛さを知る女性は、もしかすると苦痛を伴わないその仕事を男よりもさらに楽しむのかもしれません。
菜園ではそうやって男も女も大地の出産に立ち会い合流します。
野菜作りは実利に加えて人生の深い意味も教えてくれる作業です。
少なくともそんな錯覚さえも与えてくれる歓喜なのです。