明るい兆し
イタリアのコロナワクチン接種計画が軌道に乗りつつある。
EU(欧州連合)のワクチン療治スキームはことしに入ってから挫折しっぱなしだった。EU加盟国のイタリアもむろん例外ではない。
構想が崩れたのは、ワクチン製造会社の供給の遅れだった。特にアストラゼネカが大きく停滞。それは同社がイギリスへの配分だけをこっそり拡大したから、という疑惑さえ生まれた。
だがアストラゼネカ社以外からの供給が3月半ば頃から徐々に増えて、EUのワクチン政策は当初の計画に少しづつ追いついた。イタリアの状況もそれに連れて改善した。
5月5日時点でのイタリアのワクチン接種は一回接種が15.081.403回。総人口のおよそ25,30%。2回接種済の者は6.520.204 人である。
イタリア政府は4月26日、全土にわたるロックダウンを徐々に解除していくと決めた。観光・飲食店業界などが、これ以上の休業には耐えられない、と激しく政府を突き上げた。
それが思い切った緩和策の導入をもたらした。だが、その大きな規制緩和策の裏には、ワクチン接種環境が改善しつつある、という政府の自負もある。
懸念
政策転換は危険な賭けだ。なぜならイタリアのワクチン接種は、たとえばイギリスやアメリカなどに比べるとはるかに数が少ない。拙速な規制緩和は強いリバウンドを呼ぶリスクがある。
それとは別に、イタリアにはワクチン接種に絡むもうひとつの懸念もある。強い反ワクチン勢力の存在である。それが「“No Vax(ノー・ヴァクス)” 」だ。
No Vaxはイタリアの左右のポピュリスト政党、五つ星運動と同盟の主導で勢力を拡大した。きっかけは2017年、イタリア政府が全ての子供に10種類のワクチンを接種する義務を課そうとしたことによる。
過激集団No Vaxはワクチンの「危険と不自然性」を叫んで政府に噛み付いた。そこに「反体制」を標榜する両党が飛びついて運動の火に油を注いだ。火はたちまち燃え盛った。
反体制を標榜する両党は、No Vaxのみならずワクチン接種に懐疑的な人々の票が欲しかったのである。イタリアはフランスに似て、ワクチン接種に積極的ではない人々が多い国だ。
2018年の総選挙では、五つ星運動と同盟が躍進して両党による連立政権が発足。NoVaxはさらに隆盛しワクチン反対運動は激化の一途をたどった。
そこに新型コロナが出現した。No Vaxはそれまでの主張を踏襲拡大して、新型コロナウイルス・ワクチンにも断固反対と叫び始めた。
いきさつ
ワクチンの効能に疑問を持ち、且つ安全性に不安を持つ人々は、世界中で増え続けている。きっかけは20年以上前に遡る。
イギリスの医師、アンドリュー・ウェイクフィールドが、はしかの予防接種は自閉症を引き起こす、というセンセーショナルな論文を発表した。これが反ワクチン派の人々を狂喜させた。
論文はその後ねつ造だったことが分かり、彼は医師免許を剥奪された。しかし、道理を全く認めようとしない反ワクチン過激派の人々には、そんな真実など存在しないに等しい。
彼らはその後もワクチンの危険と欺瞞を「狂信」し続けた。イタリアのNo Vaxはその流れをくむ運動である。それはほぼ彼らの宗教だから、科学の言葉は通じない。
NoVaxは狂信的で声が大きく活動が荒っぽい。各国のグループをまとめる国際的な反ワクチン組織は、NoVaxが引っ張るイタリアの反ワクチン活動を「抵抗のシンボル」とさえ見なしている。
だが、そうはいうものの、ここ最近のイタリアの状況は少し静かに見えないこともない。
国論仲間同士でつるんで気勢を上げる以外には、接種会場に火炎瓶を投げつけたり、高齢者を煽動して集団で接種を拒否させたりという動きがニュースになったぐらいだ。
またイスラエルや米英など、ワクチン接種先進国における成功が刺激となって、やはり予防接種は重要だという気運が全国的に高まりつつあるのも確かだ。
それでも過去のイタリアのありさまを思うと不安は大きい。
元々ある嫌ワクチン気分に加えて、イタリアの良く言えば多様性に富む国の様態、悪く言えば分裂気質の国民性が、国を挙げてのワクチン接種キャンペーンに影を落としている。
英独仏などの欧州先進国と違って、イタリアは同じ先進国ながら統一した民意が形成されにくい。だからこそイタリア政府は事あるごとに「イタリア全国民こぞって~」という類の主張を繰り返す。
それは多様性ゆえに四分五裂する世論をまとめるための、イタリア政府の懸命の努力のあらわれなのである。
だが、再びイタリアは、英独仏や北欧各国に比べて合理性への帰依が薄い。そこが同じカトリック教国であるフランスとも違う、イタリアの弱点であり面白さだ。
フランスも反ワクチン勢力の強い国だが、最終的には合理的思考が勝って、イタリアとは対照的にワクチン接種賛成論が世論を席巻する可能性が高い。
集団免疫
イタリアはそうはならないかもしれない。いま現在の正確な統計はないが、昨年末あたりの統計では、ワクチン接種に積極的なイタリア人は60%あまりというものもあった。
その60%あまりの人々が、ワクチン接種状況を良い方向に引っ張っているとするなら、やがてそれは行き詰まってしまうかもしれない。そうなるとイタリア政府が目指す「集団免疫」の獲得が頓挫する可能性もある。
「集団免疫」は運が良ければ、国民全体のワクチン接種率70%程度で達成できるともされる。だが一般的には80%程度が目安で、数字が高ければ高いほど確率が高くなる。
既述のように今日現在の明確な統計はないが、僕が友人知己その他を含む独自のネットワークで調べた限りでは、80%の接種率に至るのはかなり厳しいように感じる。
積極的にワクチン接種に反対、とは言わなくても、喜び勇んで接種会場に足を運ぶ気にまではなれない、という者も多いのだ。
NoVaxを筆頭にしたワクチン懐疑派の喧伝と、血栓などの健康被害が発見されたアストラゼネカ・ワクチンの出だしでのつまずき等が、大きく影響しているようだ。
統計の数字にこだわるわけではないが、イタリアのワクチン戦略は接種率が60%に近づいたあたりで停滞し、その後は何らかの措置が取られない限り「集団免疫」の完成には至らない可能性がある。
そうなった場合イタリア政府は、一般的には懐疑論が強い「ワクチン接種の義務化」を模索するかもしれない。イタリアは先日、欧州で初めて医療従事者のワクチン接種を義務化した。
多様性と自由を尊重するところがイタリア共和国の最大の美点だが、それは行き過ぎてカオスを呼び込むことも多い。そしてカオスが制御不能に陥ると、伝家の宝刀「強制施行策」が抜かれる。ワクチン接種もそうなる可能性があるように思う。
切捨てではなく説得が解決策
ワクチン懐疑論者のうち陰謀説などにとらわれている勢力は、科学を無視して荒唐無稽な主張をする米トランプ大統領や追随するQアノンなどを彷彿とさせる。
言うまでもなくワクチンには問題がないわけではない。だがワクチンを凌駕するほどの感染症への特効薬をわれわれ人類ははまだ見出していない。
ワクチンを拒否するのは個人の自由だ。
NoVavを含むワクチン懐疑派の人々は、彼らなりの考えで自分自身と愛する人々の健康を守ろうとしている。問題は彼らが間違った情報や嘘に惑わされていることだ。
従って彼らは正しい情報と科学の言葉によって説得されるべきだ。決して切り捨てられるべき存在ではない。彼らを納得させるのが政治の仕事である。
ワクチンはフェイクニュースや思い込みに縛られている人々自身を救う。同時に彼らが所属する社会は、コロナ禍から脱出するために「集団免疫」が必要だ。
それは社会の大多数がワクチン接種を受けたときに達成される。彼らを無知蒙昧だとして切り捨てれば、ワクチンの社会的な効果は半減しかねない。
繰り返すが、ワクチン接種は彼ら自身を守ると同時に彼らが生きる社会を守る。為政者は彼らを啓蒙して、そのことをしっかりと理解させなければならない。
どうしても理解しない者、あるいは理解してもワクチン接種を意図的に拒む者には、罰則が科されてもあるいは仕方がないと考える。反社会的行為にも当たるからだ。
むろんコロナパンデミックは、反ワクチン派の人々が主張するように、自然のままに蔓延させることで「自然に」集団免疫ができ「自然に」終息する、という考え方もある。
しかし、そこに至るまでに一体何人の人が死に、医療崩壊を含むどれだけの社会の混乱と不都合と不利益と不自由があるかを考えた場合、やはりワクチンによって終息を図ることが重要だ。
また、ウイルスが絶え間なく変異する怖い存在であることを考えても、できるだけ迅速に宿主を減らしてウイルスの活動を封じ込むべきである。