6月から7月初めにかけて滞在したカラブリア州では、いつものように地域グルメを満喫した。
今回の休暇でも、1日に少なくとも1回はレストランに出かけた。昼か夜のどちらかだが、初めの1週間はこれまた例によって1日に2度外食というのがほとんどだった。
だが時間が経つに連れて、美食また飽食に疲れて2度目を避けるようになったのも、再び「いつもの」成り行きだった。
海のリゾートなので食べ歩くレストランではまず魚介料理に目が行った。
海鮮のパスタは全く当たり外れがなく、全てが極上の味だった。
イタリアではそれが普通だ。パスタの味が悪いイタリアのレストランは「あり得ない」と断言してもいい。もしあるならそれはまともなレストランではない。
イタリアにおけるレストランのレベルは、パスタを食べればすぐに分かる、というのが僕の持論である。
一方、魚そのものの料理の味わいは、いつも通りだと感じた。
つまり日本食以外の世界の魚料理の中では1、2を争う美味さだが、日本の魚料理には逆立ちしてもかなわない、という味である。
そんな訳で結局、魚介膳はパスタに集中することになった。
それに連れて、メインディッシュは肉料理が多くなった。
そこでもっとも印象に残ったのは、黒豚のロースト・秘伝ソース煮込みである。肉を切るのにナイフはいらず、フォークを押し当てるだけでやわらく崩れた。口に入れるととろりと舌にからんでたちまち溶けた。
芳醇な味わいと、甘い残り香がいつまでも口中に漂った。
肉料理に関してはさらに驚きの、全く予期しない出来事もあった。
なんと僕が追い求めているカプレット(子ヤギ肉)の煮込み料理に出会ったのだ。味も一級の上を行くほどの秀逸なレシピだった。
場所はカラブリア州コセンザ県の山中の町、チヴィタのレストランである。
チヴィタは15世紀頃にバルカン半島のアルバニアからイタリアに移り住んだ、「アルブレーシュ」と呼ばれる人々の集落である。アルブレーシュの集落がコセンツァ県には30箇所、カラブリア州全体では50箇所ほどあるとされる。
キリスト教のうちの正教徒であるアルブレーシュの人々は、彼らの故郷がイスラム教徒のオスマントルコに侵略されたことを嫌って、イタリア半島に移住した。
チヴィタは広大なポッリーノ国立自然公園内にある。よく知られた町でアルバニア系住民を語るときにはひんぱんに引き合いに出される。
アルブレーシュの人々は、むろん今はイタリア人である。彼らは差別を受けるのでもなければ、嫌われたりしているわけでもない。
イタリア人は、日本人を含む世界中の全ての国民同様に混血で成り立っている。
そのことをよく知り且つ多様性を誰よりも愛するイタリア人は、自らのルーツを忘れずに生き続けるアルブレーシュの人々を尊重し親しんでいる。
僕はそうした知識を持って滞在地から30キロほど離れた山中にあるチヴィタを訪ねた。
そこでチヴィタ独特のカプレット(子ヤギ)料理があると聞かされたのである。
それまでは「アルブレーシュ」の人々が、ヤギや羊肉料理に長けているとは思ってもみなかった。
僕はイタリアを含む地中海域の国々を訪ねる際には、いつもカプレットや子羊を含むヤギ&羊肉料理を食べ歩く。むろん他の料理も食べるが、ヤギや羊肉は地中海域独特の膳なので集中して探求するようになった。
初めは珍味どころか、ゲテモノの類いにさえ見えていたヤギ&羊肉膳は、最近ではすっかり僕の大好きな料理になっている。
以前はそれを見るさえいやだ、と怒っていた妻も、今では僕と同じか、あるいはさらに上を行くかもしれないほどのヤギ&羊肉料理愛好家になってしまった。
カラブリア州でも「ヤギ&羊肉を食べるぞ」計画を立てて乗り込んだが、海際のリゾート地にはそれらしい料理は見当たらなかった。
山中のチヴィタで初めて、思いがけなく出会ったのだ。
チヴィタで食べたカプレットの煮込みは、これまでに食べたヤギ&羊肉料理のなかでもトップクラスの味がした。
食べながら少し不思議な気がした。
ヤギや羊肉を好んで食べるのは、イスラム教徒を主体にする中東系の人々である。宗教上の理由で豚肉を避ける彼らは、自然にヤギや羊肉の調理法を発達させた。
アルバレーシュはキリスト教徒である。従ってイスラム教徒やユダヤ教徒、また中近東系のほとんどの人々のようにヤギや羊を好んでは食べない、と僕は無意識のうちに思い込んでいた。
だが思い返してみると実際には、地中海域のキリスト教徒もヤギや羊をよく食する。イスラム教徒の影響もあるだろうが、ヤギや羊は地中海地方のありふれた家畜だから、彼らも自然に食べるようになった、というのが歴史の真実だろう。
チヴィタでよく知られたレストランは、どこでもカプレット料理を提供していた。他のアルブレーシュの町や村でも同じだという。
アルブレーシュ風のヤギ・羊肉膳は、ソースやタレで和えた煮込みと焼き料理が主だが、肉を様々にアレンジしてパスタの具にする場合もある。
チヴィタでは日にちを変えて3件のレストランを訪ね、それぞれが工夫を凝らしたカプレット料理を堪能した。
また、滞在地から遠くない内陸の村にもアルブレーシュの女性が経営するレストランがあり、カプレット料理を出すことが分かった。チヴィタのレストランで得た情報である。
早速訪ねてカプレットの煮込みを食べてみた。そこの味も出色だった。
場所が近いのでもう一度訪ねて、今度はカプレットの炭火焼きに挑戦しようと思ったが、時間が足りずに叶わなかった。
そのレストランもチヴィタの店も、もう一度訪ねたい気持ちは山々だが、旅をしたい場所や国は多く、人生は短い。
果たして再び行き合えるかどうかは神のみぞ知るである。