ラッジ胸像


10月3日-4日に行われたローマ市長選挙で現職のヴィルジニア・ラッジ市長が落選した。

ラッジ氏は2016年、ローマ誕生以来2769年間続いてきた男性オンリーの支配体制に終止符を打った。

ローマは、オオカミに育てられた双子の兄弟ロームルスとレムスが、紀元前753年に建設して以降、常に皇帝や執政官や独裁官や教皇や元首などの男性指導者に統治されてきた。

生粋のローマっ子で当時37歳のラッジ氏は、彗星の如くあらわれて鋭い舌鋒で既存の政治家を糾弾。私がローマの全てを変える、と主張した。

当時ローマでは、前市長が公費流用疑惑で辞任し、市当局がマフィアと癒着していた醜聞が明らかになるなど、市民の怒りと政治不信が最高潮に達していた。

ラッジ氏は既成の政党や古い政治家を厳しく批判して支持を伸ばしていた反体制政党「五つ星運動」の所属。時節も追い風になって彼女は大勝した

ラッジ市長は、サラ金や麻薬密売を武器にローマにはびこる犯罪組織、カザモニカ(casamonica)を押さえ込んで市民の喝采を浴びた。

だが一方で、バスや電車に始まる公共交通機関の乱れや劣化する一方のインフラなど、ローマの構造的な腐食や疲弊には無力だった。

中でもゴミ問題に対する市の対応の遅れと拙さが厳しい批判を浴びた。ラッジ市長は「永遠の都」に日々積みあがっていく腐敗物を尋常に処理できなかったのだ。

ローマには街に溢れるゴミを目当てに、イノシシの群れが徘徊する事態まで起きた。それでもラッジ市長は有効なゴミ処理策を打ち出せなかった。驚くべき非力である。

彼女の奇態はそこでは終わらなかった。ラッジ市長は市内の公園や歴史的建造物の庭園で芝刈り機を使う代わりに、ヤギや羊また牛などを放牧し草や木々の葉を食べさせて清掃しようとした。

そうすることで財政難が続く永遠の都の台所を救い、環境保護にも資することができる。一石二鳥だ、と彼女は言い張ったのである。

そのアイデアは実は彼女独自のものではない。例えばパリやドイツのケルンなどでも公園などに羊を放牧して草を食ませ掃除をしている。欧州のみならず世界中に同じ例がある。

だが、ローマの場合には余りにも規模が大きい。ローマは欧州随一の緑地帯を持つ都市なのだ。導入する動物の数や管理に加えて、垂れ流す糞便のもたらす衛生健康被害を想像しただけでも実現は不可能と知れた。

市長の批判者は、そのアイデアはゴミをカモメに食べてもらう企画に続くラッジ市長の荒唐無稽な施策だ、と激しく反発した。

同時に彼らは「市長はやがて蚊を退治するためにヤモリの大群をローマに導入しようと言い出すに違いない」などとも嘲笑し愚弄した。

ラッジ市長は政治的には無能だったと僕も思う。世界有数の観光都市ローマの道端にゴミが溢れる状況を改善できないなんて、まさしく言語道断だ。

しかしラッジ市長は-例えば日本に比べれば遥かに進んでいるとはいうものの-欧米先進国の中では女性の社会進出が遅れているイタリアの首都の、史上初の女性トップだった。

ローマには何食わぬ顔で女性蔑視・男尊女卑を容認するカトリックの総本山バチカンがある。

カトリックは許しと愛と寛容を推進する偉大な宗教だが、ジェンダーに関しては救えないほどの古い思想また体質を持っている。

欧米先進国の中でイタリアの女性の社会進出が遅れているのはカトリックの影響も大きい。欧州の精神の核の一つを形成してきたローマは、ジェンダーという意味ではひどく後進的な都市なのだ。

古代の精神を持つそのローマで、ヴィルジニア・ラッジ市長という女性のトップが生まれた歴史的意義は大きい。

われわれは例えば、パリやロンドンやニューヨークなどの、欧米の他の偉大な都市で女性市長が誕生しても、もはや誰も驚かない。それらの都市は既に十分に近代的で「男尊女‘’」の社会環境にあるからだ。

ローマは違う。さり気なく且つ執拗に男尊女卑の哲学を貫くバチカンを擁する現実もあって、イタリア国内を含む他の欧州の都市のように近代的メンタリティーを獲得し実践するのは困難だった。

それが古来はじめて転換したのである。

転換の主体だったラッジ市長は、彼女の使命を終えて政治の表舞台から去ることになった。

彼女が任期中にたとえ多くの懸案を解決できなかったとしても嘆くことはない。

なぜなら厳とした男尊女卑の因習を持つイタリアで、初の「女性ローマ市長」になったラッジ氏の真の役割は、例えばアメリカ初の黒人大統領バラック・オバマ氏のそれに似た、歴史の分水嶺を示す存在であること、とも考えられるからだ。





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