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2011年、アラブの春の騒乱の中で殺害されたリビアの独裁者ムアマー・カダフィ大佐の息子セイフイスラム氏が、12月の大統領選挙への立候補を表明した。

イフイスラム氏はカダフィ大佐の次男。かつては独裁者の父親の最も有力な後継者と見なされていた。

そして彼は父親から権力を移譲された暁には、欧米民主主義世界と親和的な立場を取るだろうと期待されてもいた。

それというのも彼がロンドンの著名大学ISEロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス )で学び、英語にも堪能だからである。

欧米のメディアは時として、独裁者の子弟やその対立者が欧米で学んだ場合、彼らが民主主義に洗脳されて帰国後に同地に善政や徳をもたらすと単純に考えることがある。

例えば先年死去したジンバブエのムガベ大統領やシリアのアサド大統領夫妻などがその典型だ。

だがムガベ大統領は英国から帰国後にジンバブエに圧制を敷いた。同じく英国で眼科を学んだアサド大統領は、シリアを牛耳って民衆を苦しめ殺害し続けている。

またアサド大統領の妻アスマは、一時期は欧米メディアに「砂漠のバラ」「中東のダイアナ妃」などと持ち上げられたが、後には夫に負けるとも劣らない民衆の敵であることが暴露された。

欧米のメディアは、ロンドン大学の一角を成すISEに留学したイフイスラム・カダフィ氏にも過剰な期待を寄せた。だが前述のように彼も民衆を弾圧する暴君であると明らかになった。

セイフイスラム氏は、2011年のリビア内戦で父親が殺害されたことを受けて逃亡を余儀なくされた

また同年には父親に寄り添って民衆を弾圧したことに対して、ICC(国際刑事裁判所)が「リビア国民への人道に対する罪」で彼に逮捕状を出した。

逃亡したセイフイスラム氏は、砂漠で反政府軍につかまり裁判で死刑を宣告された。しかし2017年には釈放された。理由は判然としない。

セイフイスラム視以外のカダフィ大佐の家族も殺害されたり国外に逃亡したりしたが、その際彼の妻と息子らは国庫から莫大な富を盗み出したと見られている。

その富は、カダフィ大佐が40年以上に渡ってリビアの石油を売っては着服し続けた莫大な資金と重なって、さらに膨らんで天文学的な数字になるとされる。

だがカダフィ政権が崩壊して後のこれまでの10年間で、秘匿された金がリビア国民に返還されたことは一切ない。

セイフイスラム氏は、政治的な動きが特徴的な存在で、家族とは別行動を取っている。だが、何らかの方法でリビアから盗み出された金を流用しているとも信じられている。

彼は自国民を虐殺した罪とリビア国民の財産を盗んだ無頼漢だが、10年の逃亡生活を経てあたかも何事もなかったかのように表舞台に登場した。

リビアは2011年以来、ほぼ常に内戦状態にある。独裁者のカダフィ大佐はいなくなったものの混乱が続いて、独裁にも劣らない非道な政治がまかり通っているのだ。

セイフイスラム氏はその混乱に乗じて大統領選挙に立候補した。もしも彼が当選するようなことがあれば、リビア民衆は2重3重にカダフィ一族の横暴にさらされることになるだろう。

リビアの政治状況はここイタリアに影響をもたらす。リビアがかつてイタリアの植民地だったからだ。イタリアには同国への負い目がある。

イタリアはドイツと同じように過去を清算し、謝罪し、リビアとも良好な関係を築いている。日本のように歴史修正主義者らが過去を否定しようと騒ぐこともない。

だがリビアは近年、地中海を介してヨーロッパに渡ろうとするアフリカや中東などの難民・移民の

中継地となっている。リビアと親しいイタリアが目と鼻の先にあるからだ。

イタリアはリビアと連携して不法な難民・移民の流入を阻止しようと努めているが、リビアの政治状況が不安定なために中々思い通りには進まない。

世界はトランプ米大統領の登場やBrexit、また欧州大陸に台頭する極右など、風雲急を告げる状況が延々と続いている。

そこにコロナパンデミックが起きて、国際社会はますます分断され、憎悪と不信と不安がうずまく重い空気に満たされている。

消息不明の闇の中からふいに姿をあらわして、リビアの大統領選挙に立候補したセイフイスラム氏は、混乱する世界のもうひとつの象徴に見えて不気味でさえある。

同時にイタリアにとっては、隣国でかつての植民地であるリビアが、一体どこに向かうのかを示唆しあまつさえイタリアの国益にも大きく影響しかねない、極めて現実的な存在なのである。



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