2021年11月末日、寒くなった菜園でなにごともなかったかのように繁茂している、チンゲンサイ、ピーマン、ナス、ルッコラ、春菊、ミックスサラダ菜を収穫。
そのうちナスと春菊はほぼ全て採り込んだが、ほかの野菜はまだ菜園に残っている。
急速に寒気が深まればたちまち朽ちるだろうが、いまこのときは十分に青く健やかだ。
温暖化の力は全くもって驚異的である。
収穫したチンゲンサイとナス以外の野菜をツナと混ぜて、オリーブ油と醤油で和えて昼食に。
食べきれないので、野菜はツナを加えたり除いたりしながら、4、5日は続けて食べ、それでも残れば豆腐やハムなどと炒めて食することになる。
サラダをオリーブ油と醤油だけで食するのは、2、3世紀も前のロンドン時代にイタリア人の妻が発明した食べ方。
当時は生野菜をそんな和え方で食べたことがなかったのでびっくりした。
若くて腹を空かしていた僕は、そのころはまだ結婚していなかった若い妻の感覚にあきれながらも、食べてみた。
おいしさにふたたびびっくりした。
それ以来、わが家ではツナのあるなしにかかわらずサラダは常にオリーブ油と醤油で和えて食する。
友人知己を招いての食事会でも同じ。
ただし、食事会で出すサラダは付け合せなのでツナは加えない。新鮮な野菜をオリーブ油と醤油のみで和える。
評判はいつも上々である。
すでに知っている者は、それが楽しみ、と口にしたりもする。
妻はやはりまだ若かりしころ、茶碗蒸しをラーメン用の丼鉢で作って僕を仰天させたこともある。
どうしたのだ、と訊くと、おいしいからたくさん作ったの、と涼しい顔で言う。
ナルホド、と目からうろこが30枚ほど落ちた。
小さな鉢に少なく作るからおいしい、というのは真実だが心理的である。
おいしいから大きな鉢にたくさん作る、というのは真理であり物理的である。
若くて腹を空かしていた僕は、妻の物理的な真理に大いに感心した。
背中に負っている文化が違う者同志が一つ屋根の下で暮らす。
すると摩擦も起きるが文化の化学反応も起きて面白かったりもする。
地球温暖化も障害ばかりではなく何か取り柄があってほしいものだ。
だがいまのところ分かるのは、菜園で野菜の寿命が伸びるケースもあるというささやかなメリットのみ。
一方では地球そのものが危機に瀕しているのだという。
12月に夏野菜が収穫できることを喜んでばかりもいられないのである。
だからといって菜園に罪があるわけではなく、個人的にはむしろ、温暖化による異常気象を感触できる「装置」としても小さな野菜畑を重宝している。