それ以前に効力があった「グリーンパス」は、①ワクチンを接種した者、 ②コロナから回復した者、 ③48時間以内の陰性証明がある者に与えられた。
「スーパーグリーンパス」はそこから③を除いた証明書。
古いグリーンパスは今後も有効だが、ワクチンを接種しない者は、仕事や交通機関を利用する場合以外はどこにも行くことができず、公共施設も利用できない。
一方でワクチンを接種した者とコロナから回復した者は、これまで通りレストラン、劇場、映画、コンサートなど、自由に娯楽を楽しむことができる。
それを「スーパーグリーンパス」と呼ぶのである。
実質的にワクチン未接種者をロックダウンした形、と考えてもいいだろう。
次に来るのはワクチン接種の義務化となりそうだ。
だが、今日まで頑強にワクチン接種を拒否している人々を翻意させるのは容易ではない。
反ワクチンが宗教の域にまで達している少数の過激な人々と、接種をためらっている多くの慎重派の人々を明確に区別して政治を行うべきだが、今のところ良い知恵はないように見える。
するとパンデミックはいつまでも経っても収束せず、人々の自由は制限され続ける。
誰もが自由を求めている。
ワクチン接種を終えた者も、接種を拒否する者も。
ワクチンを接種した人々が希求する自由は、反ワクチン論者も懐抱する。パンデミックを終息させて、社会全体で共に自由になろうとするものだからだ。
片や反ワクチン派の人々が希求する自由は、ワクチン接種そのものを拒否する自由という、彼ら自身の都合のみに立脚したものである。
そして彼らのその自由は、社会全体が不自由を蒙る、という断じて無視できない害悪をもたらす可能性を秘めている。
国家権力は将来、パンデミックの終焉が望めない、あるいはさらに遅れる、と判明した場合には必ずその害悪を回避しようと動き出すだろう。
その際に暴力の行使が決してないとは誰にも断言できない。
そしていま現在の世相は、国家権力がそんな不快な方向に向かうよう後押ししていると見えないこともない。
そうなれば、ファシズムの到来である。
それはだが、国家権力のみの咎ではない。反ワクチン派の人々が招く不都合な真実だ。
そうならないための鍵は、政府とワクチン未接種者双方の今後の動きの中にある。