偉大だったドイツのメルケル首相が退陣して、ショルツ新首相が誕生しました。

筆者はショルツ首相を公私ともに応援しています。

「公」は民主主義の旗手、ドイツを率いる彼の手腕。

「私」は容姿が似ている彼への親しみ。

右向き素朴650


筆者はショルツ首相の後を追って、ハゲ街道を驀進中なのです。

なのに、あ~それなのに、いいハゲこいて、もとへ、いいトシこいて、筆者はPerfumeが好きです。

いまPerfumeを香水と思った人はオヤジでありオバchanです。

ならばPerfumeとは何か。

Perfumeを知らない若者のために説明しますと、Perfumeは若い女性3人組のアイドルグループです。テクノポップユニット とも言うらしい。

そんなものを好きな筆者のようなオヤジはエロいと見なされることもあります。正確に言うと若い女性歌手やグループを追っかけるオヤジはエロいらしい。エロ目的のくせにエロい情熱を隠して出没する、ということなんでしょうね。

筆者はぶっちゃけそこまでエロくはなさそうです。なぜならPerfumeの追っかけをするほどの元気はありませんし、それほどの情熱もありません。また筆者の子供ほどの年齢のアイドル娘3人をアイドルともみなせません。

筆者のアイドルは(年齢と時代の関係で敢えて言えば)キャンディーズです。へてからに、キャンディーズを知っている人はぶっちゃけオヤジとオバchanです。で、人気絶頂の頃のキャンディ-ズの3人娘は、まぶしくて近寄りがたくて憧れでした。

筆者はそこでもキャンディーズの追っかけをするほどの熱烈なファンではなく、遠くから眺めているという程度の煮え切らない若者でした。が、同世代の女性アイドルを熱く見つめている青年が内に秘めているのは、歌への情熱に織り込んだまさにエロだった、という気はしないでもありません。

perfumeダサコスチューム

ところが、Perfumeの3人の踊り子たちは、とても田舎っぽくて前述したように筆者にはアイドルには見えません。Perfumeは、キャンディーズオジさ んの筆者にとっては憧れではなく、例えば故郷の友人のタカオとかヨシオとかの娘みたいな、 あるいは田舎の姪っ子たちみたいな、要するにフツーの娘過ぎてエロにはならないのです。

とはいうものの、こうしてあれこれ言い訳めいたことを書き連ねているのが怪しい。やっぱりエロだ。というスルドイ指摘もありそうですので、本題に戻ります。

筆者のPerfume好きをもっと具体的に言えば、実は筆者はPerfumeの歌「ワンルーム・ディスコ」が好きなのです。それは♪ジャンジャンジャン♪という電子音(デジタルサウンドと言うらしい)に乗って次のように軽快に歌われます。

ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ
ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ                           なんだってすくなめ 半分の生活 だけど荷物はおもい 気分はかるい
窓をあけても 見慣れない風景 ちょっとおちつかないけれど そのうち楽しくなるでしょ                           新しい場所でうまくやっていけるかな 部屋を片付けて 買い物にでかけよ
遠い空の向こうキミは何を思うの? たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない
(中略)
新しい場所でうまくやっていけるかな 音楽をかけて計画をねりねり 
今日はなんだかね おもしろいこともないし リズムにゆられたいんだ ワンルーム・ディスコ                          ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ~

デジタルサウンドという新鮮な音の洪水に乗って流れるメロディーもいいが、筆者にとっては歌詞がもっと良い。つまり:
「なんだってすくなめ 半分の生活」 
「荷物はおもい 気分はかるい」
「そのうち楽しくなるでしょ」
「たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない」

それらの前向きな態度や思考は、筆者が理解している限りでの全き禅の世界です。作詞・作曲をした中田ヤスタカさんが禅を意識していないのが、余計に禅的で良いと思います。

禅とは徹頭徹尾プラス思考の世界です。しかもそのポジティブで前向きな生き方を意識しないまま、自然体で体現するのがもっとも理想に近い禅世界です。

円相切り取りやや横へ拡大

受身ではなく能動的であること。消極的ではなく積極的であること。言葉を替えれば行動すること。「書を捨てよ。町へ出よう」と動くこと。またはサルトルの「アンガージュマン」で行こうぜ、ということです。

もっと別の言い方で説明すれば、それは筆者の座右の銘である「日々是好日(にちにちこれこうにち(じつ)」と同じ世界です。まさに理想的な禅の世界なのです。

日々是好日とは、どんな天気であっても毎日が面白い趣のある時間だ、という意味です。つまり雨の日は雨の日の、風の日は風の日の面白さがある。あるがままの姿の中に趣があり、美しさがあり、楽しさがある。だからそれを喜びなさい、という意味です。

筆者はバカかった頃、もとへ、若かった頃、この言葉を「毎日が晴れたいい天気だ」と勝手に理解して、東洋的偽善の象徴そのものだと嫌悪しました。これは愚かな衆生に向かって、「たとえ雨が降っても風が吹いても晴れた良い天気と思い(こみ)なさい。そうすれば仏の慈悲によって救われる」という教えだと思ったのです。

まやかしと偽善の東洋的思想、日本的ものの見方がその言葉に集約されていると当時の筆者は思いました。

その大誤解は筆者が日本を飛び出して西洋世界に身を投入する原動力 の一つにもなりました。筆者は禅がまったく理解できませんでした。しかも理解できないまま筆者が思い込んでいる禅哲学が、反吐が出るほど嫌いでした。無知とはゲに怖ろしい。

西洋にも禅的世界観があります。歌の世界であれば:

♪ケセラセラ なるようになるさ~♪

がそうであり、ビートルズの

♪レットイットビー  レットイットビー  レットイットビー♪

もそうです。

ただ西洋のそれは、人生をある程度歩んだ「大人の知恵」という趣が込められた歌だと筆者は感じます。つまりそれは、敢えて言えば哲学です。Perfumeの3人娘が歌うのはそんな重い哲学ではありません。

軽い日常の、どうやら失恋したらしい女の子の、前向きな姿を今風のデジタルな音曲に乗せて、踊りを交えて歌う。その軽さがいい。深く考えることなく、「軽々と」禅の深みに踏み込んでいるところがいい。

あるいは考えることなく「軽々と」禅の高みに飛翔している姿がいい。。

というのはしかし、東洋の、特に禅の全きポジティブ思考に魅せられている「東洋人の」筆者の、東洋世界への依怙贔屓 (えこひいき)に過ぎないのかもしれません。


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