イタリアでは反ワクチン過激派、NoVax(ノーワックス)のキツネ憑きの皆さんが騒ぎ続けている。
またこの期に及んでも、ワクチン懐疑論から抜け出せない愚者の群れも数が減る様子がない。
自らの行為が社会全体を危機に陥れていることに気づかないか、気づかない振りをしているそれら「こけの一念人士」への嫌悪感を募らせて、腹を立てても空しい。
それなので、もはや反社会的勢力とさえ形容される頑民の退治は国家権力にでも任せておいて、僕は年末から年始にかけて何も考えずにのんびりと時間を過ごした。
クリスマスは少し繰り上げて、息子2人とその家族またパートナーらを迎えて祝った。今回は僕は刺身を用意しただけで、メインの料理のあれこれは妻が担当した。
その後の年末と年始には、僕の要望にこたえてザンポーネがふんだんに食卓に並んだ。ザンポーネは、中味を刳りぬいた豚足に、味付けをした豚肉のミンチを詰めたソーセージ。
なぜか日本では不味いという評判があるらしい。だが、不味いものを食の国イタリアのグルメな国民が有難がって食べるはずがない。
少し立ち止まって頭をひねってみれば、文字通り立ち所に分かるはずのコンセプトではないか。
不味いと言い出した日本人の感覚がおかしいのである。あるいは豚足の見た目に意識を引きずられたのだろうか。
ザンポーネはきわめて美味なイタメシのひとつである。
ただザンポーネは脂っこくカロリーも高い食べ物だ。主に寒い北イタリアで、冬に食べられるのもそれが理由だ。
健康志向が強い時代にはウケない場合もあるかもしれない。
しかしそんなことを気にして敬遠するのは馬鹿げている。ザンポーネは毎日食べるものではない。たまに食べてその濃厚な味と内容と食感とを楽しまないのは損だ。
閑話休題
のんびり食を楽しむついでに、大晦日にはNHK紅白歌合戦も見た。
いつものように録画をしながら、従って見逃すことがないため安心して、そこかしこでテレビの前を離れて雑事をこなしながら、である
最終的には、全体の3分の2ほどを録画で見る結果になった。その際には歌以外の場面をひんぱんに早送りしながら楽しんだ。
日本の今の音楽シーンをほとんど知らない僕は、大晦日の紅白歌合戦を介して今年のヒット曲や流行歌を知る、ということが多い。
というか、最近はそれが楽しみで長丁場の紅白を見る、と言っても過言ではない。
ことしも「ほう」とうなる歌手と歌に出会った。列挙すると:
ミレイ:Fly High あいみょん:愛を知るまでは Yoasobi:群青 の3アーチストが素晴らしかった。
また藤井風も良かったが、2曲歌ったうちの2曲目が少し雰囲気を壊したと感じた。だが彼も優れたミュージシャンであることには変わりない。
新しい才能との出会いはいつもながら楽しい。だが、数少ないそれらのアーチストを知るために、4時間以上もテレビの前に「座らされる」のは苦痛だ。
紅白はやはり、がらりと趣向を変えて尺を短くし、過去にとらわれない全く新しい歌番組として出直すほうがいい、と思う。
僕は以前からそう強く感じ主張しているが、ことしもやはりその思いを強くした。
多様性が力を持つ時代に、国民誰もが一緒に楽しめる歌番組などあるはずがない。
NHKは幻想を捨てて、たとえば若者向けの新しい歌と、中高年者向けの演歌&歌謡曲とを分けるなど、構成を立て直すべきだ。
歌が好きな若者は、新しい歌に続いて、演歌&歌謡曲も必ず自主的に見、聞くだろう。
一方では歌が好きな中高年も、演歌&歌謡曲に加えて、新しい歌も自主的に見、聞くに違いない。
だがいうまでもなく、演歌&歌謡曲が苦手な若者も新しい歌が嫌いな中高年もいる。
それらの視聴者は、それぞれが好きではないジャンルの楽曲が流れる間は顔を背けるだろう。
それでいいのである。
なぜなら顔を背ける人々は、中途半端な中身の番組をむりやり長時間見せられて、テレビの前から逃げてしまう人々よりも、おそらく数が少ないと考えられるからである。
再びなぜなら、テレビの前に座って紅白にチャンネルを合わせた人々は、多くが紅白好きだからである。
つまり、逃げる人々は、紅白が始まる以前にすでに逃げているのであって、そこには座っていない、と思うのである。