イタリア政府は1月5日、新型コロナウイルスの感染急拡大を受け、50歳以上を対象に新型コロナウイルスのワクチン接種を義務付けると発表した。
2月15日から適用する。
イタリアでも感染力の強いオミクロン型が猛威を振るっていて、新規感染者数は過去最多を連日更新している。
1月6日の新規感染者数も21万9千441人とやはり過去最多を更新した。
イタリアではワクチン接種人口の80%以上がすでに必要回数を接種している。だが、接種を拒否する者も相当数存在し、接種率は頭打ち状態だ。
イタリア政府はすでに、医療従事者や教師また警察官や兵士などに接種を義務づけている。
また2月からは接種を証明する「グリーンパス」の有効期限を9カ月から6カ月に短縮する。次々と厳しい対策を打ち出しているのである。
イタリアはパンデミックが世界を席巻した当初、手本にするものが皆無の絶望的な状況の中で、医療崩壊にまで陥る地獄を味わった。
恐怖が国中を支配した。
イタリアは当時、世界初の、前代未聞の全土ロックダウンを導入してなんとか危機を乗り切った。
地獄の教訓が身にしみているイタリアは、その後も世界初や欧州初という枕詞が付く施策を次々に打ち出してパンミックと対峙している。
イタリア政府が過酷な対策を取り続けるのは、いま触れたように恐怖の記憶が肺腑に染み入っているからだ。
だがそれだけではない。
厳しい対策を取らなければ、規則や法やお上の縛りが大嫌いな自由奔放な国民は、コロナの予防策などそっちのけで勝手気ままに振舞う可能性が高い。
もしもパンデミックの初期に手痛い打撃を経験していなかったなら、イタリアは今頃は、欧州どころか世界でも感染予防策がうまく作動しない最悪の社会だったかもしれない。
イタリアが2020年の3月~5月に、世界最悪のコロナ地獄に陥ったのは、誤解を恐れずに言えば「不幸中の幸い」ともいうべき僥倖だったのである。
イタリア共和国の最大の美点は多様性である。多様性は平時には独創性とほぼ同義語であり、カラフルな行動様式や思考様式や文化の源となる。
だがパンデミックのような非常時には、人々が自己主張を繰り返してまとまりがなくなり、分断とカオスと利己主義が渦巻いて危機が深まることがある
今がまさにそんな危険な時間だ。
その象徴が反ワクチン過激派のNoVaxと、彼らに追随する接種拒否の愚民の存在である。
イタリアには、ワクチンの影も形もなかった2020年、絶望の中で死んでいった多くのコロナ犠牲者と、彼らに寄り添い命を落としたおびただしい数の医療従事者がいる。
またワクチンが存在する現在は、健康上の理由からワクチンを打ちたくても叶わない不運な人々がいる。
「個人の自由」を言い訳にワクチンの接種を拒む住民は、それらの不幸な人々を侮辱し唾を吐きかけているのも同然だ。
その上彼らは、コロナに感染して病院に運び込まれ、集中医療室はいうまでもなく一般病棟の多くまで占拠している。挙句には自らを治療する医師や看護師に罵詈雑言を浴びせる始末だ。
彼らは他国の同種の人々よりも、「イタリアらしく」自己主張が強い分、危機を深刻化させている。
イタリア政府はついにそれらの危険分子の退治に乗り出した。
それがワクチン接種の義務化である。
50歳以上の市民に接種を義務化したのは快挙だが、それだけではおそらく十分ではない。年齢に関係なくワクチン接種を義務化するのがイタリア政府の最終的な狙いだろう。
だがその政策は、千姿万態、支離滅裂な主張が交錯するイタリア政界によって阻止され、混乱し、紛糾して中々実現しないと思う。
イタリア以外の多くの国、特に欧州内の国々がワクチン接種を義務化しない限り、イタリアの完全義務化は成就しないに違いない。
幸いギリシャは60歳以上の市民にワクチン接種を義務化した。また、オーストリアやドイツは、2月以降に一般国民に義務化していく予定だ。
感染拡大が続けばその他の国々もワクチン接種の義務化に踏み切るだろう。
イタリアは今後も、他国の動きを監視しつつ他国よりも強い規制策を導入し、且つ究極には-繰り返しになるが-ワクチン接種の完全義務化を模索するのではないか。
イタリア共和国の最大の強みである多様性は、社会全体の健勝とゆとりと平穏によってのみ担保される。
コロナパンデミックの危機の中では、反ワクチン人種のジコチューな自由は許されるべきではない。
50歳以上の市民へのワクチン接種の義務化は、イタリアの多様性への抑圧ではなく、多様性を死守するための、必要不可欠な施策の第一歩に過ぎない。