足かせで自由に乗り遅れる男650

ワクチン未接種者のノバク・ジョコビッチ選手が全豪オープンテニス大会から締め出された。

ジョコヴィッチ選手は反ワクチン論者。

ジョコビッチ選手がワクチン接種を拒否するのは個人の自由である。

民主主義社会では個人の自由は頑々として守らなければならない。

同時に民主主義社会では、個人の自由を享受する市民は、その見返りに社会に対する義務を負う。

そして社会全体が一律にコロナパンデミックの危険にさらされている現下の状況では、自らと他者で構成される社会を集団免疫によって守るために、ワクチンを接種することが全ての市民の義務と考えられる。

従ってワクチンを拒絶するジョコビッチ選手は、その時点で反社会的存在である。たとえ自身はワクチン接種に反対でも、社会全体のためにワクチンを接種する、という市民の義務を怠っているからだ。

新型コロナワクチンが出回った当初は、ワクチン接種を拒否することは個人の自由として認められていた。

個人の自由が、社会全体の自由の足かせとなることが十分には理解されていなかったからだ。

だが個人の自由を盾にワクチン接種を拒む市民の存在は、パンデミックの終息を遅らせ、最悪の場合は終息を不可能にするかもしれない、という懸念さえ生まれた。

その時点でワクチン接種は、個人の自由から市民の義務になった、と言うことができる。

個人の自由は社会全体の自由があってはじめて担保される。また個人の自由を保障する多くの民主主義国家の憲法も、社会全体の安寧によってのみ全幅の効力を発揮する。

ワクチン接種を拒否できる個人の自由は、パンデミックによる社会全体の危機が執拗に続く現在は容認できない。

個人の自由を保障する社会の平安と自由が危機に瀕しているときに、個人の自由のみを頑迷に主張するのは理にかなわない。

コロナパンデミックが人々を抑圧し社会全体のストレスが日々高まっていく中で、誰もが自由を求めて葛藤している。

ワクチンを接種した者も、それを拒絶する者も。

ワクチンを接種した人々が希求する自由は、ワクチンを拒絶する者も分けへだてなく抱擁する。パンデミックを打ち破って社会全体で共に自由を勝ち取ろうという哲学だからだ。

一方で反ワクチン派の人々が焦がれる自由は、ワクチン接種そのものを拒否する自由、という彼ら自身の我欲のみに立脚した逃げ水である。

そして彼らが言い張る自由は、社会全体が継続して不自由を蒙る、という大きな害悪をもたらす可能性を秘めている。

だからこそワクチン拒否派の市民は糾弾されなければならないのである。

ここまでが全ての市民に当てはまる一般的な状況だ。

ノバク・ジョコビッチ選手は世界ナンバーワンのテニスプレーヤーである。彼は好むと好まざるに関わらず世界的に大きな影響力を持つ。

同時に彼は、世界に名を知られていることによって、世界共同体から経済的、文化的、人間的に巨大な恩恵を受けている。

そして彼に恩恵をもたらす社会活動には既述のように責任が伴う。

その責任とはこの場合、ワクチンを接種する義務のことにほかならない。

だが彼はそれを拒否している。拒否するのみではなく、多くの嘘をついている。

彼はオーストラリアに入国するためにコロナ感染履歴を詐称した。

またコロナに感染していながらそれを隠して旅行をし、隔離生活をしなければならない時期に外出をして、子供たちを含む他者と濃厚な接触を続けた。

そのことを問われるとジョコビッチ選手は、自らの感染の事実を知らなかった、と開いた口がふさがらない類の詭弁を弄した。

彼はそこでは嘘に加えて隔離拒否という2つの大きな罪を犯している。

そればかりではない。

彼はオーストラリア入国が決まるまでは、ワクチンを接種したかどうかを意図的にぼかして、どちらとも取れる発言に終始していた。

ところがトーナメントに出場できると決まったとたんに、手のひらを返して「ワクチンは接種していない」と明言した。

つまり彼は意図的に接種の有無を曖昧にしていたが、状況が都合よく展開するや否や、未接種の事実を明らかにしたのだ。そのことも糾弾に値する卑劣な行為だ。

なぜなら彼はそうすることで、反社会的な勢力である世界中のワクチン拒絶派の人々に得意顔でエールを送ったからである。

ジョコビッチ選手は結局、オーストラリア当局の毅然とした対応に遭って、全豪オープンへの出場を拒まれた。

それに続いて5月の全仏オープンと8月の全米オープンへの出場も拒否される可能性が高くなった。

彼はテニス選手としてのキャリアを大きく傷つけられた。だが彼の最大の傷みは、自らの人間性を世界の多くの人々に否定された事実だろう。

彼に残されている再生への唯一の道筋は、一連の不祥事への真摯な謝罪とワクチン接種ではないか。

しかも後者を実行する際には彼は、世界中にいる反ワクチン派の人々に改心を呼びかけることが望ましい、と考える。

もっともジョコビッチ選手の反ワクチン論は宗教の域にまで達している様子だから、他者への呼びかけどころか、彼自身が転向する可能性も残念ながら低いかもしれない。





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