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ベルルスコーニ元首相が1月24日から始まるイタリア大統領選に立候補しない、と表明した。

理由は「国のために」だそうだ。

元首相は同時に「ドラギ首相は(大統領にならずに)現職にとどまるべき」とも主張した。

国のために身を引く、という宣言は噴飯ものだ。翻訳すると「1ミリも勝つ見込みがないので立候補を断念する」というところだろう。

彼を支持している極右のイタリアの同胞と同盟は一枚岩ではない。

世論調査で支持率1位を保っていた同盟が、最近その地位をイタリアの同胞に奪われて、同盟のサルビーニ党首が焦り、血迷い、内心で怒りまくっているように見える。

そのせいかどうか、彼はいつもよりもさらに妄言・放言・迷言を繰り返し、右派の結束が乱れがちだ。

それに加えて、議会最大勢力の五つ星運動と彼らに野合した民主党が、ベルルスコーニ大統領の誕生に断固反対と広言し、その方向で激しく動いている。

そればかりではない。人間的に清潔で政治的に公正な人物像が求められる大統領職には、ベルルスコーニ氏はふさわしくない、と寛大で情け深く且つおおらかな、さすがのイタリア国民でさえ感じている。

大衆迎合主義のカタマリで、政治屋としての嗅覚がハゲタカ並みに鋭いベルルスコーニ氏は、さっさとそのことに気づいたのだ。

だから「自らのために」立候補を断念したのだろう。

「自らのために」であることは、ドラギ首相が現職にとどまるべき、という言い分にもはっきりと表れている。

ドラギ首相は大統領に「祭り上げられる」可能性も高い。それを阻止するにはベルルスコーニ元首相自身が大統領を目指すことが最も確実だ。

それをしないのは、ドラギ首相継続が今このときのイタリア共和国のためには最重要、という現実よりも、自身の野望つまり政治的に生き延びて政界に影響力を持ち続けることが何よりも大事、と暗に表明しているのも同然だ。

ベルルスコーニさんはかつて、今は亡き母親に向かって「将来は必ずイタリア大統領になる」と約束したことがあるという。

清浄な存在と見なされることが多いイタリア大統領は、彼にとってもきっと憧れの的だったのだろう。

僕はベルルスコーニさんが人生の終末期に臨んで、「国と人民に本気で尽くしたい」と殊勝に考えるなら、許されてもいいのではないかと考えた。

許されて過去の過ちや醜聞や思い上がりをかなぐり捨て、真に人々に尽くして履歴の暗部を償うチャンスが与えられてもいいのではないか、とチラと思ったりもしたのだ。

もはや80歳代も半ばになった彼の中には、そんな善良で真摯な、且つ強い願望が芽生えていても不思議ではないと思った。

だがどうやらそれは、僕の大甘な思い違いだったらしい。

閑話休題

1月23日現在大統領候補として名前が挙がっているのはベルルスコーニ氏のほかには:

ドラギ首相、アマート元首相、カシーニ元下院議長、ジェンティローニ元首相、マルタ・カルタビア法相など。

マルタ・カルタビア法相が大統領になればイタリア初の女性大統領になる。

ここまでの情勢では、ドラギ首相の横滑りの可能性が最も高い、と考えられている。

もしもドラギ首相が大統領に選出され、しかも後任の首相が決まらない場合には、議会任期を待たずに前倒し総選挙の可能性がある。

その場合のイタリアの政情不安はまたもや大きなものになるだろう。

混乱を避ける意味で、フォルツァイタリア所属の最年長閣僚レナート・ブルネッタ行政相(71歳)を首班にして、連立を組む各政党の党首や幹部が来年6月の議会任期まで内閣入りして政権を維持する、という案もある。

それらのアイデアは全て、イタリアのお家芸である政治混乱を避けるための、当の政治家らによる提案である。