イタリア大統領選はあらかじめ候補者を募る形ではなく、投票権を持つ国会議員と州代表がランダムに名前を挙げて、その周りで駆け引きが行われる。
名前を挙げられた候補者との事前協議やすり合わせなどはなく、選挙人の間で喧々諤々の勝手な心理戦が進行するのである。
その場合、普段から影響力のある各党党首や、幹部議員などが口にする候補者の名前が注目されるのは言うまでもない。
だが、全国民が注目する中で行われる彼らのやり取りは、いわば公然の秘密状態となってわかりやすい。
イタリア大統領は、ほぼ常に政治家を中心とする魑魅魍魎の中から選出される。
そして選出された者は、再びほぼ常に、政治的に公正で人格的に清廉な印象の者に落ち着く。
それは全国民が注目する舞台で、いわば透明性のある根回しや策謀が展開されるからだと考えられる。
衆目のなかで人選が行われ、イタリア共和国大統領の顔が徐々に見えてくるプロセスが、汚れた政治闘争を浄化する、と形容すれば言い過ぎかもしれないが、そういう雰囲気がある。
あらかじめ候補者を募ることなく選挙戦が展開されるのは、ローマ教皇を選ぶコンクラーベにも似ている。
だが宗教行事であるコンクラーベは完全な密室の中で行われて、選挙人らの間の化かし合いは第三者には全くうかがい知れない。
一方イタリア大統領選の場合は、いま触れたように権謀術策の中身がある程度透けて見えるところが違う。
閑話休題
選挙戦は5日目に入った今日もまだ先が見えない。右派の実力者サルビーニ同盟党首が、カゼラーティ上院議長に執着する「素振り」を見せているが、恐らく彼一流のハッタリではないか。
議会全体の空気は、2013年の大統領選挙と同様に、人気を終えて去ろうとする現職のマタレッラ大統領の続投を望む方向に動いているようだ。
同時に、ドラギ首相を大統領に押す空気もまた、無視できない密度で執拗に漂い、流れている。
2013年には次々に出た大統領候補者が過半数の票を獲得できず、任期を終えるナポリターノ大統領に議会が懇願する形で彼の続投が確定した。
今回も同じ流れになっているが、2013年時との違いは、ドラギ首相というある意味ではマタレッラ大統領を凌ぐ有力者が存在する点である。