イタリア大統領選は現職のマタレッラ大統領が「続投」という最善の結果になった。
1月24日に始まった選挙戦は事前の予想通り紆余曲折、七転八倒、行き当たりばったりのドンチャン騒ぎになった。
イタリアのある大手メディアはそれを「各政党は合意できない弱さと混乱と無能ぶりをさらけだした」という表現で嘆いた。
その論調は僕にため息をつかせた。
なぜなら彼らは、イタリアのメディアでありながら、イギリスやドイツやフランスやアメリカ、またそれらの国々を猿真似る日本などのジャーナリズムの視点で物を見ている。
イタリアの各政党の「弱さと混乱と無能」は今に始まったことではない。
イタリアの政治は常に四分五裂して存在している。そのために一見弱く、混乱し、無能である。
四分五裂はイタリア共和国とイタリア社会と、従ってイタリア政治の本質なのである。
四分五裂を別の言葉でいえば、多様性であり、カラフルであり、盛りだくさんであり、万感せまるワイドショーであり、選り取り見取りネホリンパホリン、ということである。
多様性は混乱にも見える。
だがイタリアには混乱はない。
イタリア政治にも混迷はない。
そこにはただイタリア的秩序があるだけだ。「カオス風」という名のイタリア独特の秩序が。
多様性に富む社会には極端な思想も出現する。過激な行動も生まれる。
例えば今が旬のイタリアの反ワクチン過激派NoVax、極左の五つ星運動、極右の同盟またイタリアの同胞など、など。
イタリアにおける政治的過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、自らの極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなる。
つまり、より過激になるよりも、より穏健へと向かう。
それがイタリア社会のそしてイタリア政治の最大の特徴である多様性の効能である
2大政党制の安定や強力な中央集権国家の権衡、またそこから生まれる国力こそ最善、とする視点でイタリアを見ても仕方がない。
イタリア共和国の良さとそして芯の強さは、カオスにさえ見える多様性の中にこそある。
そしてイタリア大統領選は、国家元首である大統領を選ぶ舞台であると同時に、イタリアのカオス風の多様性と、強さと、イタリア式民主主義のひのき舞台でもある、と僕は思うのである。