前回エントリーで、プーチン“悪の根源”大統領を受身に擁護する、ジュゼッペ・コンテ前イタリア首相を批判した。
彼の名誉のために付け足すと、プーチン大統領を名指しで非難しないイタリアの有力政治家は、ほかにも少なからずいる。
その筆頭がマッテオー・サルヴィーニ同盟党首である。極右とも規定される同盟のトップは、かねてからプーチン大統領を崇拝し、彼を称揚する言動を堂々と展開してきた。
サルヴィーニ党首は先日、ウクライナからの難民に連帯を示したいと称してポーランドを訪れたが、プーチン大統領支持の正体を見抜かれて現地の人々の総スカンを食らった。
サルヴィーニ党首は、プーチン大統領とともにトランプ前大統領も敬仰する。
サルヴィーニ党首はポーランドで叱責を受けた際、ロシアのウクライナ侵攻は良くないことだ、としぶしぶ認めたが、その後はコンテ前首相と同じく、“プーチン”という名を一切口にせず、むろんロシアを非難することもしない。
支持するとまでは表明しないものの、沈黙を守ることでプーチン大統領を支持した、もう一人の大物政治家もいる。ベルルスコーニ元首相である。
プーチン大統領と親密な元首相は、ロシアがウクライナで殺戮を繰り返すのを目の当たりにしながら、当初は同大統領を全く指弾しなかった。
ベルルスコーニ元首相はおよそ一ヵ月後、これまたしぶしぶという風体でロシアの蛮行を初めて批判した。
そして4月9日、自身が党首を務めるFI党の党大会で「プーチン大統領には失望した」と強い調子で友人の独裁者を糾弾した。
遅きに失した感はあるが、だんまりを決め込んだり、消極的にあるいは受け身にプーチン大統領支持に回るよりは増しだろう。
醜聞にまみれたベルルスコーニ元首相には多くの批判がある。だがそのことはさて置いて、彼は政治的には、いわゆる「欧州の良心」から大きく逸脱することは一貫してなかった、と僕は思う。
プーチン大統領を擁護する勢力は、イタリアにおいても左右の極論者が多い。左の代表が前述したようにコンテ前首相であり、右の極論者がサルヴィーニ同盟党首である。
彼らはトランプ主義者である点でも共通している。
僕が知る限りコンテ前首相は公にトランプ前大統領を称揚したことはない。だが彼の上に君臨する五つ星運動創始者のグリッロ氏は、隠れなきトランプ礼賛者でありプーチン追従者だ。
コンテ前首相は、残念ながら彼のボスに倣って、ここのところは“プーチン”という言葉を全く口に出さない主義を貫いている。
そのようにイタリアでは、他の先進民主主義国では中々見ることができない衝撃的な政治実況に出くわすことも珍しくない。
つい先日まで首相の座にあった者や10年近くも首班を務めた政治家、あるいは世論調査で支持率1、2位を争う政党の党首などが、今このときのロシアの蛮行を見て見ぬ振りをしたり、あまつさえ支持するなど、ほとんどあり得ないことではないか。
イタリアではそれが堂々となされることも少なくない。
イタリア政治の特徴は多様性だ。それは傍目には混乱に映ることも多い。
事実、混乱も起きるが、イタリア共和国は混乱では崩壊しない。国家の中にかつての自由都市国家群が息づいているからだ。
仮にイタリア共和国が崩壊しても、歴史的存在の自由都市国家群はしぶとく生き残って、さらなる歴史を継承していくことが確実だ。
イタリア共和国とは、つまり、決して崩壊しない一つ一つの自由都市国家の集大成だ。従ってイタリア共和国自体もまた崩壊することはない、とも言える。
むろんイタリアが民主主義国家であり続ける限り、イタリア共和国の「民主的な解体」はいつでも起こり得る。
そのイタリア共和国は、たとえばBrexitに走った英国や、国民連合が台頭するフランス、またドイツのための選択肢を抱えるドイツなどとそっくり同じだ。
つまり他の西側諸国がプーチン・ロシアの愚行を受け入れることがないように、イタリア共和国がプーチン大統領の悪行に寄り添うことはあり得ない。
だがイタリアの国民的合意には、イタリア的多様性がもたらす不協和音に似た耳障りな響きも、またくっきりと織り込まれているのが常なのである。