
暑い旅行先での普通の帽子絵に兵士とコメントする感覚がつまらない。コメントを笑って受け流さない自分の感覚もつまらない。兵士と沖縄だけをつなげる発想もつまらない。沖縄の犠牲への思いやりからでしょうが、沖縄の犠牲の原因は兵士ではなくもっと別のものだから。
また犠牲になった沖縄の、まさにその地の出身の僕の父親も旧陸軍の険しい兵士だった。その僕の父親も含めた兵士は皆殺人者です。敵も味方も家族も友も、文字通り全員が。
日本兵だけを庇う感覚も、日本兵だけを責める感覚もつまらない。庇うなら日本兵に限らず全ての兵士を庇うべき。なぜなら全ての兵士は彼らを兵士に仕立てた権力の犠牲者だから。
自ら進んで兵士になった者も同じ。なぜなら彼らが殺人を犯すのも権力が始めた戦争に於いてだから。
また兵士を責めるなら全ての兵士を責めるべき。なぜなら彼らは全員が殺人者だから。たとえ敵を殺していなくても、彼らは殺人をするために存在する。お国を守るとか、正義を貫徹する云々という大義名分で変装しても、兵士の本質は殺人者です。
そして殺人者の彼らを責めるのは、実は彼らを庇うことと同じ。なぜなら「真の悪」は彼らを兵士にし、戦争を始め、その戦争に兵士を投入する権力だからです。
沖縄の犠牲もその権力によって生まれました。そして重大なことは、その権力はかつては天皇や将軍ほかの軍人や国王や君主etcの「独裁者」だったが、現在では民主主義という仕組みによって「民衆に選出された」権力に変ったということ。
つまり、民主主義社会に生きているわれわれは全員が権力の一端を担う加害者である。と同時に犠牲者にもなり得る。
沖縄を犠牲にしたのは民主主義以前の独裁権力、つまり天皇+軍部でしたが、それを支えた国民の意志もあった。その意志は自由な環境から生まれた自由意志ではなく、無知と強制によって作られた(今の中国、北朝鮮、ロシアなどの民衆の置かれた立場と同じ)ものだった。
しかし、そこにはかつて琉球と呼ばれた小さな独立国と民衆への差別意識という重いしこりもあった。そのしこりは現在も基地の過重負担という現実につながっている。
沖縄で生まれ育った者が強く感じるのは、基地の過重負担に伴って見える執拗且つ無意識の差別と、日本全国の安全保障のために存在する沖縄の基地負担を、大半の国民が「沖縄だけの問題」と捉えて無関心でいることへの怒りです。
そこへもってきてネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者らは「沖縄は金欲しさに基地に反対する」などのあきれた主張をして人々をさらに怒らせる。
日本全体の安全保障の問題である米軍基地が、小さな沖縄県だけに過重に押し付けられているのは不公平。だから是正されるべき、という沖縄の声が全国に届かないのは、国民の大半が無関心だからです。
政府は大半の国民の無関心を巧みに利用して、口先だけの基地負担軽減を繰り返し言いつつ負担を押し付けている。いわゆる構造的な沖縄差別です。
一方怒る沖縄は、ナントカのひとつ覚えのように事あるごとに「県民総決起大会」を開いて抗議しますが、国民の無関心はますます深まるばかり。
そこで僕は国と国民をおどろかせて沖縄の基地問題を本気で議論させるために、特に沖縄の為政者は沖縄独立論にまで踏み込め、とさえ主張したりします。
それは多くの国民の反感を呼んであるいは逆効果になるかもしれない。しかし政府はどうでしょうか?あるいはあわてて沖縄の基地軽減を本気で考えるかもしれません。
僕はむろん沖縄の独立には反対ですが、何か大きなインパクトのあることをしないと沖縄の基地問題は解決できない、と感じます。
以上、長くなりましたが、兵士、国家、戦争という言葉の連鎖から、僕は基地問題や沖縄への構造的差別にまで考えが進むことを禁じえません。無関心な人にはその複雑な心理もまた「つまらない」ものだろうと考えましたが、冒頭で述べたようにある方の「つまらなくない」というご指摘が目からウロコになりましたので書き進めてみました。
なお、ここのコメントも全てが公開欄ですので、後ほど僕のブログ及びFB記事としても再投稿、再掲載させていただきます。その方が多くの読者の目に留まると考えるからです。
また、今後noteなどへの転載や加筆も考えている「沖縄問題関連記事」のURLも貼付しますので、お時間と興味のあるかたは「先行読破」しておいてください。