則カモメ800

2022年6月、エーゲ海を目指した。コロナ後初のイタリア国外への旅。

コロナはほぼ収束したと見られているが、完全に終息してはいない。その意味では昨年のイタリア国内旅行に続くコロナ禍中での地中海紀行である。

目的地のパロス島の前に寄った、乗り換え地のミコノス島の上空がすでに曇っていた。

船に乗り換えて、パロス島に着いた。その夜から朝にかけて雨が降った。

翌日もぐづついた天気が続いた。

だが徐々に回復していき、3日目にはエーゲ海の空が戻ってきた。

群青色とシアンが重なったような深い青色。

あるいは瑠璃紺からホリゾンブルー分の青をそっと抜き取ったのでもあるかのような濃い空色。

言葉で遊べばいくらでも表現ができる。だが、どんなに言葉をぞっても正確には言いあらわせない、エーゲ海の空だけの美しい巨大な色。

見渡す限り、360度の天空に明るい稠密な青いカーテが展延している。

それはコバルトブルーの海にきらきらと反射し、教会の青い屋根をくっきりと縁取り、白い壁や鐘楼をまぶしく輝かせる。

景色の細部は遠景の真っ白な光彩に吞み込まれて融合し昇華する。そうやって空と地の天淵が埋まる。

調和した世界には朝も昼も夜も、間断なく強風が吹き募る。碧海にも群青の空にも地上の白い街並みにも。

強風はメルテミ(Meltemi)と呼ばれる。夏のエーゲ海を象徴する風物詩だ

調和した、だが違う色彩の天地の間をカモメが飛ぶ。

風に乗って舞い上がり、碧空の白い一点となって悠々と浮かぶ。やがて吹き上がる強風を捉えて猛然と加速する。

加速するカモメは白い光跡を残しながら群青のカーテンの中に吸い込まれていく。

僕はビーチを行き来しては滑空するカモメの白い飛翔をカメラで捉えようと試みる。

だがただの一度も成功したことがない。

かろうじて撮影できるのは、風と戯れながら低空で静かに浮かぶ彼らの姿だけである。

海鳥をカメラで追いかける作業に疲れると、ビーチパラソルの下の寝椅子にねそべって読書をし、あれこれ思いを巡らし、想像し、空想の中で遊ぶ。

それにも飽きたら泳ぎ、水中眼鏡をかけて海中を探索し、13時前後から食べる。食べた後は、再びビーチに戻ったりドライブに出る。

レストランにはギリシャ料理とともにイタリア料理が幅を利かせている。僕らはむろんイタリア料理には見向きもしない。

素朴な味わいのギリシャ料理を堪能する。

魚介はタコとイワシが特に美味く、小さなマグロと呼ばれるカツオの煮込みなども味わい深い。

肉は相変わらずヤギと羊肉を追い求める。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピだから当たりはずれはほとんどない。

長くトルコの支配下にあったギリシャの島々のヤギ&羊肉膳は奥が深い。

イスラム教徒のトルコ人は豚を食べない。代わりに羊やヤギを多く食べる。トルコ人の食習慣はギリシャの島々にも定着した、

牛肉や豚肉また鶏肉料理などもむろんギリシャでは豊かだ。だがどこにでもあるそれらの肉に加えて、島々にはいま触れた羊肉やヤギ肉のレシピもまた発達した。

ヤギ&羊肉はここでは珍味ではない。ごく普通の食材だ。それでも旅人の僕らにとっては少し珍しい。

珍しさに魅かれて食べるうちに、その美味さにのめり込んだ。今ではどこにでもある牛、豚、鶏料理ではあまり満足できなくなった。

ただし、島々には豚肉の炭火焼きや子豚の丸焼きなど、イタリアによく似た極上のレシピもある。

肉料理を求めるのは、言うまでもなく島の魚介料理からの乗り換えである。

食を楽しむ、ごく当たり前のバカンス旅の時間を過ごしながら、僕はよく人と時間と空間を考える。

要するにドキュメンタリーを頭の中に構築する。

だがここ最近は僕のスタッフ、つまりカメラマや音声マンや照明スタッフ、またアシスタントやドライバーなどを招集することはほとんどない。

僕はドキュメンタリーやドラマをWEB・ブログ・SNSなどの媒体で代替できないかと考え、できると見なしてひたすら書いているのである。

この先もこの形を貫いてみようと思う。

どこまでその状態が続くかは分からないが、考えに考え抜いたWEB記事を例えば10本書くと、1本のドキュメンタリー番組を仕上げた程度の疲労感と自己満足を覚えないこともない。





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