
戦後総括の欠落
先の大戦で多くの若い兵士を壊して、戦場で悪魔に仕立て上げた国家権力の内訳は、先ず昭和天皇であり、軍部でありそれを支える全ての国家機関だった。
兵士の悪の根源は天皇とその周辺に巣食う権力機構だったのである。
彼らは、天皇を神と崇める古代精神の虜だった未熟な国民を、情報統制と恐怖政治で化かして、縛り上げ、ついには破壊した。
それらの事実は敗戦によって白日の下にさらされ、勝者の連合国側は彼らを処罰した。だが天皇は処罰されず多くの戦犯も難を逃れた。
そして最も重大な瑕疵は、日本国家とその主権者である国民が、大戦までの歴史と大戦そのものを、とことんまで総括する作業を怠ったことだ。
それが理由の一つになって、たとえば銃撃されて先日亡くなった安倍元首相のような歴史修正主義者が跋扈する社会が誕生した。
分断
彼らは軍国主義日本が近隣諸国や世界に対して振るった暴力を認めず、従ってそのことを謝罪もしない。あるいは口先だけの謝罪をして心中でペロリと舌を出している。
そのことを知っている世界の人々は「謝れ」と日本に迫る。良識ある日本人も、謝らない国や同胞に「謝れ」と怒る。
すると謝らない人々、つまり歴史修正主義者や民族主義者、またネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者らが即座に反論する。
曰く、もう何度も謝った。曰く、謝ればまた金を要求される。曰く、反日の自虐史観だ。曰く、当時は誰もが侵略し殺戮した、日本だけが悪いのではない云々。
「謝れ!」「謝らない!」という声だけが強調される喧々諤々の不毛な罵り合いは、実は事態の本質を見えなくして結局「謝らない人々」を利している。
なぜなら謝罪しないことが問題なのではない。日本がかつて犯した過ちを過ちとして認識できないそれらの人々の悲惨なまでの不識と傲岸が、真の問題なのである。
岸田政権の危うさ
ところが罵り合いは、あたかも「謝らないこと」そのものが問題の本質であり錯誤の全てでもあるかのような錯覚をもたらしてしまう。
謝らない或いは謝るべきではない、と確信犯的に決めている人間性の皮相な輩が、かつて国を誤った。そして彼らは今また国を誤るかもしれない道を辿ろうとしている。
その懸念を体現するもののひとつが、国民の批判も反論も憂慮も無視し法の支配さえ否定して、安倍元首相を必ず国葬にしようと躍起になる岸田政権のあり方だ。
歴史修正主義者だった安倍元首相を国葬にするとは、その汚点をなかったことにしその他多くの彼の罪や疑惑にも蓋をしようとする悪行である。
功罪
安倍元首相には実績も少なくない。国防と安全保障に対する国民の意識を高めたこともその一つだ。
だがそこには安全保障の負担を一方的に沖縄に押し付ける彼特有の横暴が付いて回っている。外交や経済政策も然りだ。
外交に関しては、彼の多くの外遊やトランプ前大統領との友誼などを良しと考える支持者も多数いる。またプーチン大統領との親交でさえポジティブに捉えて評価する者が少なくない。
安倍元首相の多くの外遊はあまたの知己を得て、彼の横死に際しては国外から弔辞が殺到する事態になった。
だが国際政治に於ける彼の存在感や力量は、米英仏独等の首脳と比較するまでもなくほぼ無きに等しい。
国際政治の舞台では日本同様に重みのないここイタリアの首脳でさえ、安倍元首相に比べれば一目置かれる存在と断言しても差し支えない。
彼の支持者のネトウヨ・ヘイト系人士や国粋主義者などが、よく知ったかぶりで国際政治に於ける安倍氏の存在感の高さを吹聴する。だがそれは文字通りの知ったかぶりに過ぎない。
そうではあるものの、しかし、安倍元首相が国益を主眼にトランプ前大統領やプーチン大統領と親しくするのは正しい動きだった、とはフェアに言っておきたい。
ラスボスたちの罠
だがそうした行動には、安倍元首相の良識と知識と教養が担保するところの、批判精神が秘められていなければならない。
安倍元首相には残念ながらそれが欠落していた。彼は無批判にトランプ前大統領やプーチン大統領に近づいた。のみならず無批判に彼らを称揚したりさえした。
やがてトランプ前大統領は、民主主義を踏みにじることも厭わない危険人物であることが明らかになった。
またプーチン大統領は、先進社会ではもはやあり得ないと考えられていた「侵略戦争」をいとも簡単に始めて、自国民を偽りウクライナ国民を易々と殺戮する大賊であることを自らさらけだした。
大きな不幸は、安倍元首相がトランプ前大統領とプーチン大統領にかねてから付いて回っていた、危険思想や言動また政策等の兆しを見抜けなかったことだ。彼の愚蒙の罪は深い。
修正主義者の闇
だが安倍元首相の最大の汚点は、彼の揺らがない歴史修正主義だったと僕は思う。彼の歴史観は、日本の過去の過誤を過誤と感じない恐るべき無明と無恥と不道徳に支えられている。
そこに加えて、著名家系に生まれたことから来る彼個人の優越意識と、近隣アジア諸国に対する日本人としての優越感が加わって、軍国主義日本の行為でさえ是とする悲しい思い込みが生まれた。
同時に安倍元首相には欧米、特にアメリカに対する抜きがたい劣等意識があった。その秘められた闇は彼が2年間アメリアに留学した経験から生まれた可能性が高い。
そう考えれば、米大統領との友情を懸命に演出してはいるものの、トランプ前大統領のポチに徹していただけの、安倍元首相の悲惨な動きの数々が説明できる。
いつか来た道
戦争でさえ美化し、あったことをなかったことにしようとする歴史修正主義者が、否定されても罵倒されても雲霞の如く次々に湧き出すのは、日本が戦争を徹底総括していないからだ。
総括をして国家権力の間違いや悪を徹底して抉り出せば、日本の過去の悪への「真の反省」が生まれ民主主義が確固たるものになる。
そうなれば民主主義を愚弄するかのような安倍元首相の国葬などあり得ず、犠牲者だが同時に加害者でもある兵士を、一方的に称えるような国民の感傷的な物思いや謬見もなくなるはずである。
だが今のままでは、日本がいつか来た道をたどらないとは決して言えない。拙速に安倍元首相の国葬を決める政府の存在や、兵士を感傷的に捉えたがる国民の多さは、僕の目にはどうしても少し不気味に映る。