亡くなったエリザベス女王を称える声が世界中にあふれている。
中には彼女をほぼ現人神と見なすらしく、天皇に捧げる言葉である“崩御”を用いて死を語るケースさえある。
そうするのはむろん日本人である。君主の死を特別扱いにして言葉まで変えるのは、外務省の慣例を含めて日本語以外にはありえない。
エリザベス女王は現人神ではなく人間である。人間の中で優れた人格の人だったから、世界中で賞賛の声が沸き起こっているのである。
天皇に象徴されるお上の死を別格と捉えて、無条件に平伏して称える日本人に特有の精神作用によっているのではない。
英国には反王室派の人々もいる。エリザベス女王はその反王室派の一部にさえ敬愛された。そのことが既に彼女の人柄を語って余りあると思う。
エリザベス女王は1952年、父親で国王のジョージ6世の死去を受けて25歳の若さで即位した。当時の英首相はあのウィンストン・チャーチル。
彼女はその後、70年の在位中に14人の首相を任命し、チャーチルを含む15人の宰相と仕事を共にした。その間は慎重に政治的中立の立場を守り続けたのは言うまでもない。
女王の在位中には旧植民地の国々の多くが独立。イギリスの領土は大幅に縮小した。
同時に王室はさまざまなスキャンダルに見舞われた。だが女王は見事な手腕で危機を乗り越え、名君とみなされた。
僕は昨年、女王の夫であるエディンバラ公爵フィリップ殿下の死去に際して次のように書いた。
英国王室の存在意義の一つは、それが観光の目玉だから、という正鵠を射た説がある。世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドだ。
おとぎの国には女王を含めて多くの人気キャラクターがいて、そこで起こる出来事は世界のトピックになる。むろんメンバーの死も例外ではない。エディンバラ公フィリップ殿下の死がそうであるように。
最大のスターである女王は妻であり母であり祖母であり曾祖母である。彼女は4人の子供のうち3人が離婚する悲しみを経験し、元嫁のダイアナ妃の壮絶な死に目にも遭った。ごく最近では孫のハリー王子の妻、メーガン妃の王室批判にもさらされた。
英王室は明と暗の錯綜したさまざまな話題を提供して、イギリスのみならず世界の関心をひきつける。朗報やスキャンダルの主役はほとんどの場合若い王室メンバーとその周辺の人々だ。だが醜聞の骨を拾うのはほぼ決まって女王だ。
そして彼女はおおむね常にうまく責任を果たす。時には毎年末のクリスマス演説で一年の全ての不始末をチャラにしてしまう芸当も見せる。たとえば1992年の有名なAnnus horribilis(恐ろしい一年)演説がその典型だ。
92年には女王の住居ウインザー城の火事のほかに、次男のアンドルー王子が妻と別居。娘のアン王女が離婚。ダイアナ妃による夫チャールズ皇太子の不倫暴露本の出版。嫁のサラ・ファーガソンのトップレス写真流出。また年末にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居も明らかになった。
女王はそれらの醜聞や不幸話を「Annus horribilis」、と知る人ぞ知るラテン語に乗せてエレガントに語り、それは一般に拡散して人々が全てを水に流す素地を作った。女王はそうやって見事に危機を乗り切った。
女王は政治言語や帝王学に基づく原理原則の所為に長けていて、先に触れたように沈黙にも近いわずかな言葉で語り、説明し、遠まわしに許しを請うなどして、危機を回避してきた。
英王室の人気の秘密のひとつだ。
危機を脱する彼女の手法はいつも直截で且つ巧妙である。女王が英王室が存続するのに必要な国民の支持を取り付け続けることができたのは、その卓越した政治手腕に拠るところが大きい。
女王の潔癖と誠実な人柄は―個人的な感想だが―明仁上皇を彷彿とさせる。女王と平成の明仁天皇は、それぞれが国民に慕われる「人格」を有することによって愛され、信頼され、結果うまく統治した。
両国の次代の統治者がそうなるかどうかは、彼らの「人格」とその顕現のたたずまい次第であるのはいうまでもない。
自国民の大多数に愛され、世界の人々にも敬仰されたエリザベス女王を憎む人々もいる。一部の英国人とかつてイギリスに侵略され植民地にされた多くの国々の国民である。
エリザベス女王は英国の植民地主義には関わらなかった。また憲法上、君主は象徴に過ぎない。従ってエリザベス女王に植民地搾取の責任はなかった、という主張もできる。
だが彼女の地位は植民地主義で潤った英国の過去と深く結びついている。反王室派や元植民地の人々は、そのことを理由に女王に強く反発した。彼らにとって女王は抑圧の象徴でもあったのだ。
それは理解できることである。帝国主義時代を経た英国の君主である以上、例え彼女自身は直接植民地経営に携わっていなくても、国の責任から無縁でいることはできない。
エリザベス女王は恐らくそのことを熟知していた。だが彼女は過去について謝ることはほとんどなかった。女王が謝罪しなかったのは、英国が第2次大戦の戦勝国になったたことが大きい。
英国は連合国を主導して、日独伊という独裁国家群の悪を殲滅した。それでなければ世界は、今この時もナチズムとファシズムと軍国主義に支配された暗黒の歴史を刻んでいた可能性が高い。
戦勝国である英国は、ドイツ、イタリア、日本などとは違って、第2次大戦に於ける彼らの行為を謝る理由も、意志も、またその必要もなかった。
謝るどころか、専制主義国連合を打ち砕いた英国の行為はむしろ誇るべきものだった。その事実には、過去の植民地経営の不都合を見えにくくする効果もあった。
そうやってエリザベス女王は、第2次大戦のみならずそれ以前の植民地主義についても謝罪をしなくなった。そして世界の大部分はほぼ無条件に女王のその態度を受け入れた。
だが、英国に侵略され植民地となった前述の国々の人々の中には、女王は謝罪するべきだったと考える者も少なくない。彼らの鬱屈と怨みは将来も生き続けることになる。
片や敗戦国日本の君主である平成の天皇は、歴史に鑑みての義務感と倫理また罪悪感から、日本が戦時に犯した罪を償うべきと考えそのように行動した。
平成の天皇は、戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し、戦場を訪問してひたすら頭を垂れ続けた。
その真摯と誠心は人々を感服させ、日本に怨みを抱く人心を鎮めた。そしてその様子を見守る世界の人々の心にも、静かな感動と安寧をもたらした。
同時に平成の天皇の行為と哲学は、過去の誤謬を知らずにいた多くの日本人の中にも道徳心を植えつけ良心を覚醒させた。
平成の天皇は、その意味でエリザベス女王を上回る功績を残したとさえ僕は考える。
エリザベス女王は植民地主義の負の遺産という闇を抱えたまま死去した。
平成の天皇は、日本の誠心を世界に示して薄明を点し、その上で退位した。
日本は平成の天皇が点した薄明を守り大きな明かりへと成長させなければならない。
象徴である天皇が政治に関わらない、というのは建前であり原則論である。天皇はそこにある限り常に政治的存在である。
政治家がそれを政治的に利用するという意味でも、また天皇が好むと好まざるにかかわらず、政治の衣をがんじがらめに着装させられているという意味でも。
天皇は政治に口を出してはならないが、口を出してはならないという建前も含めた彼の存在が、全き政治的存在である。
令和の天皇はそのことを常に意識して行動し発言をすることが望まれる。退位した平成の天皇、明仁上皇がそうであったように。
それはエリザベス女王の治世を引き継いだ英チャールズ国王が、旧植民地の人々に対する謝罪も視野に入れた抜本的なアクションを取るのかどうか、と同じ程度の重要課題である。