先年、相手が音を立ててそばを食べるのが嫌、という理由で日本の有名人カップルの仲が破たんした、と東京の友人から連絡がありました。
友人は筆者がいつか「音を立ててスパゲティを食べるのは難しい」と冗談交じりに話したのを覚えていて、愉快になって電話をしてきたのです。
筆者も笑って彼の話を聞きましたが、実は少し考えさせられもしました。
スパゲティはフォークでくるくると巻き取って食べるのが普通です。巻き取って食べると3歳の子供でも音を立てません。
それがイタリアにおけるスパゲティの食べ方ですが、その形が別に法律で定められているわけではありません。
従って日本人がイタリアのレストランで、そばをすする要領でずるずると盛大に音を立ててスパゲティを食べても逮捕されることはない。
スパゲッティの食べ方にいちいちこだわるなんてつまらない。自由に、食べたいように食べればいい、と筆者は思います。
ただ一つだけ言っておくと、ずるずると音を立ててスパゲティを食べる者を、イタリア人もまた多くの外国人も心中で眉をひそめて見ています。あまり見栄えが良いとは言えません。
しかし分別ある大人はそんなことはおくびにも出しません。知らない人間にずけずけとマナー違反を言うのはマナー違反です。
また音を立ててスパゲティをすするほどではないかもしれませんが、右手にフォーク、左手にスプーン(あるいは左右逆の)姿でスパゲティを食べるのは、アメリカ式無粋だからやめた方がいい、という意見もあります。
フォークにからめたスパゲティをさらにスプーンで受けるのは、例えば湯呑みの下にコースターとか紅茶受け皿のソーサーなどを敷いて、それをさらに両手で支えてお茶を飲む、というぐらいに滑稽な所作です。
田舎者のアメリカ人が、スパゲティにフォークを差し立ててうまく巻き上げる仕草ができず、かと言って日本人がそばを食べるようにズルズルと盛大に音を立ててすすり上げることもできず、苦しまぎれに発明した食べ方。
それを「上品な身のこなし」と勘違いした世界中の権兵衛が、真似をし主張して広まったものです。本来の簡素で大らかで、それゆえ品もある食べ方とは違います。
上品のつもりで慎重になりすぎると物事は逆に下卑ることがあり、逆に素直に且つシンプルに振舞うのが粋、ということもあります。
スパゲティにフォークを軽く挿(お)し立てて、巻き上げて口に運ぶ身のこなしが後者の典型です。
というのは実は、数年前に亡くなったイタリア人の義母ロゼッタ・Pの受け売りです。義母は北イタリアの資産家の娘として生まれ、同地の貴族家に嫁しました。
義母は死の直前には残念ながら壊れてしまいましたが、それまでは物腰の全てが閑雅な人でした。義母に言わせると、イタリアで爆発的に人気の出たスイーツ「ティラミス」も俗悪な食べ物でした。
「ティラミス」はイタリア語で「Tira mi su! 」です。直訳すると「私を引き上げて!」となります。それはつまり、私をハイにして、というふうな蓮っ葉な意味合いにもなります。
義母にとってはこの命名が下品の極みでした。そのため彼女は「ティラミス」を食べることはおろか、その名を口にすることさえ忌み嫌いました。
筆者は義母のそういう感覚が好きでした。
彼女は着る物や持ち物や家の装飾や道具などにも高雅なセンスを持っていました。そんな義母がけなす「ティラミス」は、真にわい雑に見えました。
また、フォークですくったパスタをさらにスプーンで受けて食べる所作は、アメリカ的かどうかはともかく、大げさに言えば、法外で鈍重でしかも気取っているのが野暮ったい、という感じがしないでもありません。
そう感じるのは義母の影響もありますが、多くは子供でさえフォーク1本でうまくスパゲティをからめ取って食べる、イタリアの食卓を見慣れていることが関係しています。
その一方で筆者の目には、フォークにスプーンを加えて2刀流でスパゲティに挑む人々の姿は、剣豪宮本武蔵をも彷彿とさせて愉快、とも映ります。
発見や発明は多くの場合、保守派の目にはうっとうしく見え、新し物好きな人々の目には斬新・愉快に見えます。
そして筆者は、新し物好きだが保守的な傾向もなくはない、普通に中途半端な男です。