人混みとジュリエット横顔650

10月、季節はずれのぽかぽか陽気と晴天にはしゃいで近場のヴェローナにも出かけた。

一応の旅の目的を立てた。つまりアマローネ・リゾットを食べること。ヴェローナ近辺で生産される高級ワイン、アマローネを使ったリゾットである。

僕はそれとは別に、なんとかの一つ覚えのように、ポルチーニ料理も頭に思い描いていた。

10月半ば過ぎの北イタリアでは、ほぼどこに行っても新鮮なキノコの料理が食べられる。

中でも僕が“イタリアマツタケ”と勝手に呼んでいるポルチーニは、それ自体でも、またパスタ絡みの調理でも出色の味がする。

ヴェローナはイタリアのエッセンスが詰まった美しい古都の一つだ。

だが晴天と暑気と週末が重なって、街には人出が多く花の都の景観をかなり損なっていた。少し前なら密が怖くて歩けなかったであろうほどに、街じゅうが混雑していた。

ローマ時代の円形闘技場・アレーナがあるブラ広場、街の中心のエルベ広場またシニョーリ広場とそれらを結ぶ大小の道を歩いた。

そこではときどき路上で立ち尽くさなければならないほどの人出があり、思わず雑踏事故の4文字を思い浮かべたりさえした。

イタリアではコロナがほぼ終息したと考えられていて、旅行また歓楽ブームが起きている。

コロナパンデミックに苦しめられ、ロックダウンで窒息した人々の怨念が解き放たれて、心身が雀躍しているのが分かる。

そこにOttabrata(10月夏)の好天が続いたので、人々の外出への欲求がいよいよ高まった。

僕は本職のビデオ取材以外でもヴェローナにはけっこう通った。

義父が製造販売していたワイン展示の手伝いでヴィンイタリー(Vinitaly)会場に出入りしたのだ。

ヴィンイタリー(Vinitaly)は毎年4月、ヴェローナ中心部に近い広大な会場で開催される。1967年に始まった世界最大のワイン展示会である。。

義父は10年ほど前までワインを作っていた。自家のブドウ園の素材を使って生産しVinitaly にも参加していた。

時間が許す限り僕はワインの展示を手伝うために会場に通った。

だが手伝うとは名ばかりで、実は僕はワインの試飲を楽しんだだけだった。展示会場を隈なく回って各種ワインの味見をするのだ。そこではずいぶんとワインの勉強をした。

義父のワイン事業はビジネスとしては厳しいものだった。

ワインは誰にでも作れる。問題は販売である。貴族家で純粋培養されて育った義父には商才は全く無かった。ワインビジネスはいわば彼の贅沢な道楽だった。

義父が亡くなったとき、僕がワイン事業を継ぐ話もあった。だが遠慮した。

僕はワインを飲むのは好きだが、ワインを「造って売る」商売には興味はない。その能力もない。

それでなくても義父の事業は赤字続きだった。

ワイン造りはしなくて済んだが、僕は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられた。彼の問題が一人娘である僕の妻に引き継がれたからだ。

ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事だ。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれる。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。

ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのである。

ワインビジネスの真の難しさは、先に触れたようにワイン造りではなく「ワインの販売」にある。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていたが、販売の能力はゼロだった。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界した。借金は一人娘の妻に受け継がれ、僕はその処理に四苦八苦した、といういきさつだった。

vinitalyに顔を出していた頃は、会場から市内中心部まで足を運ぶこともなかった。それ以前にアレーナと周辺のロケをしたことがあるが、記憶があいまいなほどに時間が経った。

淡い記憶をたどりながらアレーナ周りを歩き、観察し、前述の広場や路地を訪ね巡った。

歴史的にはほぼフェイクとされる「ロメオとジュリエット」のジュリエット像と屋敷も見に行った。

そこの人ごみのすごさにシェイクスピアの物語の強烈な影響を思ったが、ただそれだけのことで格別に印象に残るものはなかった。

食べ歩きが主目的なので付け加えておけば、リゾットの後に子羊の骨付き肉を頼んだ。キノコ系のメインコースがなかったからだ。

どこにでもある炭火焼の、ありふれた味の一品だった。

子羊や子ヤギまた子豚などの肉は、炭や薪で焼く場合には丸焼きにしない限り陳腐な口当たりになる。それを地でいくもので作り話のジュリエット像にも似て味気なかった。



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