桜引き見上げ2016  800pic


流転変遷は人生の華である。


この世の中で変わらない者は、変わりたくても変われない死者があるばかりだ。


変わるのは生きているからである。


ならば流転変遷は、生きている証、ということである


死ねば変化は起きないのだ。


流転変遷の極みの加齢も変化である。


そして変化するのはやはり生きているからである。


生きているのなら、生きている証の変化を楽しまなければつまらない。


死ねば変化も楽しみも何もないのだから。


変化を楽しむとは言葉を替えれば、あるがままに、ということである。


なぜなら人はあるがままの形で変化していく存在だからである。


あるいは人は、変化するままにしか存在できない存在だからである。


あるがままに存在することを受け入れるとき、人は楽しむ。


楽しまなくとも、心は必ず安まるのである。




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