イタリア語で言うパスクア(復活祭・イースター)を今年は宮島で過ごした。パスクアはイエス・キリストの復活を寿ぐキリスト教最大の祭りである。
カトリックの総本山を抱くイタリアでは特に盛大に祝う。
キリスト教の祭典としては、その賑やかさと、非キリスト教国を含む世界でも祝される祭礼、という意味で恐らくクリスマスが最大のものだろう。が、宗教的には復活祭が最も重要な行事である。
なぜならクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うイベントに過ぎないが、復活祭は磔(はりつけ)にされたキリストが、「死から甦る」奇跡を讃える日だからだ。
誕生は生あるものの誰にでも訪れる奇跡である。が、「死からの再生」という大奇跡は神の子であるキリストにしか起こり得ない。それを信じるか否かに関わらず、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白である。
イエス・キリストの復活があったからこそキリスト教は完成した、とも言える。キリスト教をキリスト教たらしめているのが、復活祭なのである。
今回帰国では僕は神社仏閣を主に訪ね歩いている。
厳島神社で迎えた復活祭は感慨深かった、と言いたいところだが、僕は何事もなかったように時間を過ごした。実際に何事も起こらなかった。
「仏教系無神論者」を自認する僕はあらゆる宗教を受け入れる。教会で合掌して祈ることもあれば、十字は切らないながらも寺でイエス・キリストを思うことも辞さない。無論神殿でも。
ことしの復活祭では僕はそれさえもしないで、厳島神社の明るい景色とスタイルと美意識に酔いしれた。
宗教についてあれこれ思いを巡らすよりも、日本独自の文化をありのままに享けとめ喜ぼうと努力したのである。
その努力は幸いに上手くいった。