萌えたつ新芽や花の盛りに始まる季節の移ろいは奇跡である。
のみならず海の雄大と神秘、川の清清しさなど、自然のあらゆる営みが奇跡だ。
それらを“当たり前”と思うか“奇跡”と思うかで、人生は天と地ほども違うものになる。
奇跡は大仰な姿をしているのではない。奇跡はすぐそこにある。ありきたりで事もないと見えるものの多くが奇跡なのだ。わが家の庭のバラは一年に3回咲くものと、2回だけ花開くつるバラに分けられる。つるバラは古い壁を這って上にのびる。
ことしは1回目のバラの開花が4月にあり、5月初めにピークを過ぎた。ちょうどそこに雨が降り続いて一気になえた。
普段はバラの盛りの美しさを愛でるばかりだが、ふとしぼむ花々にスマホのレンズを向けてみた。
するとそこにも花々の鮮烈な生の営みがあった。
命の限りに咲き誇るバラの花は華麗である。
片や盛りを過ぎてしなだれていく同じ花のわびしさもまた艶だと知った。
崩れてゆく花が劇的に美しいのは、芽生え花開き朽ちてゆくプロセス、つまり花があるがままにある姿が奇跡だからである。