読書とは役に立たない本を読むことだ。経済本や金融本、各種のノウハウ、ハウツーもの、またうんちく、知見、学術、解説等々の本を読むのは読書ではない。それは単なる情報収集作業である。
実用が目的のそれらの本に詰まっている情報はむろん大切なものだ。すぐに役に立つそれらの消息は人の知識を豊富にしてくれる。大いなる学びともなる。
だがそれらの情報は、思索よりも情報自体の量とそれを収集する速さが重視される類の、心得や見識や聞き覚えであって、人間性を深める英知や教養ではない。
要するに読書とは、すぐには役に立たないが人の情感を揺さぶり、心や精神を豊かにし深化させてくれる小説、詩歌、随筆、エッセイ、ドキュメント等々に触れること。特に人間を描く小説が重要だ。
人は一つの人生しか生きられない。その一つの人生は、他者との関わり方によって豊かにもなれば貧しくもなる。そして他者と関わるとは、他者の人生を知るということである。
全ての他者にはそれぞれの人生がある。だがわれわれ一人ひとりは決して他者の人生を生きることはできない。つまり人が他者の人生を実地に知ることは不可能なのだ。
その一方で小説には、無数の他者の人生が描かれている。小説は他者の人生をわれわれに提示し疑似体験をさせてくれる。小説家が描く他者のその人生は、実は本物と同じである。
なぜなら永遠に他者の人生を生きることができないわれわれにとっては、他者の実際の人生は想像上でしか存在し得ない。つまり疑似人生。小説家が描く世界と同じなのである。
そこだけに留まらない。
優れた小説家が想像力と知識と人間観察力を縦横に駆使して創り上げた他者の疑似人生は、それを体験する者、つまり読者の心を揺り動かす。
読者が心を打たれるのはストーリーが真に迫っているからだ。そこに至って他者の擬似人生は、もはや疑似ではなくなり真実へと昇華する。
読書をすればするほど疑似体験は増え、真実も積み重なる。
人はそうやってより多くの他者の人生を知り、学ぶことで、依って自らの人生も学ぶ。そこに魂の豊穣また情緒の深化が醸成される。それが読書の冥利である。