ことしも庭の柿が生った。僕は柿を前景に庭と家を切り取る秋の絵が気に入っている。それが左の昨年の写真だ。
ことしは色づいた柿の実の絵が撮れなかった。実が青かったころ強い風雨が襲って全て薙ぎ落としたからだ。
僕はそのことに気づかず、日差しが美しかった10月の終わりの1日、スマホを片手に庭に出てその惨状を知った。
少し大げさに言えば、ショックのあまりその事実を記録することを忘れた。
2つ目の写真は、この文章を書こうと決めて庭に下りた今日(11月22日)の写真だ。
すっかり冬景色の寂しい姿を見て、実は落ちてしまったが、まだ暖かい色をたたえていた10月にも一枚撮っておけばよかった、と少し後悔した。
柿はイタリア語でも「カキ」と言う。おそらく宣教師によって日本から持ち込まれたものだ。
だが「カキ」はほぼ全てが渋柿である。僕が植えたこの柿も渋柿。
柿の好きな僕は、自家の柿は諦めて、日本風の固い甘柿を店で買って食べるのが習慣になっている。
今日は「柿食えず鐘も鳴らない」誕生日。
だが昼も夜もレストランで大いに祝う予定でいる。