金は、天下ならぬ政治の回り物。
政治と金の問題は世界中のどの国にもある。どの国にもあるが、安倍派の裏金工作は中身がいかにも日本的なところが陰うつだ。
日本的とは、裏金作りでさえ集団で成されている事実だ。安倍派の閣僚がこぞって辞任したのを見るまでもなく、1人では何もできない者らが集まって悪事を働いていたことが分かる。
似たような事件がここイタリアを含む欧州あるいは南北アメリカなどで起きたなら、それは政治家個々人の裁量でなされる悪事になるに違いない。
悪事はひとりで働くほうが露見する可能性が低くなる。
同時にそれは、悪事とは言え、自主独立した一個の人格が自己責任において動く、という自我の確立した現代社会の一員としての当たり前の生き方だ。
自主性また自我の確立が優先される集団では、それぞれの個性、つまり多様性が、画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをする。集団の暴走に歯止めがかかる。
逆に自主性また自我よりも集団の論理が優先する社会では、何かが起きた場合は集団催眠状態に陥り全体が暴走する可能性が高くなる。
その典型例が国家全体で太平洋戦争に突き進んだ日本の在りし日の姿だ。
集団で裏金工作にまい進する安倍派また自民党の各派閥は、第2次大戦という巨大な悲劇を経てもなお変わらない日本の汚点そのものだ。見ているだけで胸クソが悪くなる。
たとえばここイタリアでは2018年に極右と極左が手を結んで連立政権が生まれたが、彼らが極端に突っ走ることはなかった。
また2022年には極右のメローニ政権が誕生したが、これまでのところはやはり過激論には走らず、より穏健な「右派政権」であり続けている。
それらはイタリア社会が、自主性と確固とした自我が担保する多様性に満ちた世界であるがゆえの、ポジティブな現象である。
安倍派裏金工作では、日本の諸悪の原因のひとつである独立自尊の風の欠落、という一面ばかりが見えてやりきれない。
しかもそれらのどんぐりの背比べ政治家群は、安倍元首相という隠れ独裁者の手先だったところがさらに見苦しい。
彼らは集団で安部元首相の配下になり、集団で裏金工作まで行うという恥ずかしい作業に夢中で取り組んだ節がある。
重ねて不快なのは、安倍派のひいては自民党の主勢力がトランプ主義者の集団である点だ。
そのことは2016年、安倍元首相が大統領選に勝った「就任前の」トランプ氏をたずねて諂笑を振りまいた事件で明らかになった。
ファシスト気質のトランプ前大統領は、一見するとソフトな印象に覆われた、だがその正体は彼と同じくファシスト気質の安倍元首相を、あたかも親友でもあるかのように見せかけて自在に操った。
ラスボス・トランプ前大統領に仕えたチビボス・安倍元首相の子分の議員らが、「こぞって」犯したのが今回の安倍派裏金工作事件ではないか。