アーチの奥の青い光縦650

僕がSNSを始めたのは2011年、学生時代の友人2人に触発されてのことだった。

友人2人が、すっかりオヤジになった頃に小説を書き出すという。いや、1人はもうその大分前から書いていたらしい。僕はそのことにひそかに心を動かされた。

僕も小説家を夢見たことがあった。大学を卒業してロンドンの映画学校で学んでいた頃、小説新

潮という小説誌の月間新人賞佳作というものに選ばれて、有頂天になったこともある。

だがその短編小説の後は泣かず飛ばず。文学雑誌に掲載された作品もあったが、ほとんどが原稿のままホコリまみれになっただけだった。

僕はロンドンから帰国し、テレビのドキュメンタリー及び報道番組ディレクターになった。

東京でしばらくアメリカ向けの番組を作った後にニューヨークに呼ばれ、米公共放送PBSなどの番組を監督した。

そこからさらにイタリアに渡り、欧州のNHKを介して多くの仕事をした。NHKと縁ができたのは、米PBS放送で放映された僕の番組がニューヨークで監督賞を受賞したのきっかけだった。

僕は日米伊で忙しくテレビの仕事をしてきた。その間には本を出さないかという話もあって、時間を見つけて懸命に原稿を書いたがボツになった。

日伊比較文化論のような、いかにもつまらない内容の雑文だった。

その後、同じような趣旨で書かないかともう一つの話もあったが、こちらは原稿さえ書き上げられないまま長い時間が経った。

その間には雑誌や新聞などにエッセイのようなコラムのような雑文記事を結構多く書いた。

僕は小説を書き始めるという友人2人に倣って文章に挑んでみることにした。表現する場はSNSと決めて、手始めにこのブログを開設した。

ブログ開始日の2011年3月2日、(興奮していたらしい)僕は一気に6本もの記事をアップした。

ひと息にそれだけの文章が書けたのは、ある新聞に連載していたコラムを少し修正して投稿したからである。

興奮は翌日も続き、2011年3月3日には5本の記事を書いている。我ながら驚くべきエネルギーである。核になる新聞コラムがあったものの、コラムは短くそれらの記事は全て改定され書き足されている。

もっとも文章は省筆が至難で、長くするのはたやすいことだけれど。

僕は「今のところは」小説を書く気はない。でも文学ならやってもいいと思っている。ただし、ここで言う文学とは、僕が勝手に考える文学のことである。

つまり僕は金のもらえる小説だけを「小説」と呼んで、雑文を含む残りの全ての文章を「文学」と考えてみたのである。

言葉を替えればプロの文章とアマチュアの文章。

「文学」を「ブンガク」と表記してもいい。

その文学またブンガクには、SNS上のあらゆる投稿も含まれることはいうまでもない。





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