60歳代の間に、つまり体が無理なく動き回れる今のうちに、欧州内の目的の街を急いで、だが、あくまでもゆるりと巡る計画を立てた。
急ぐのは若くないから。ゆるりと行こうとするのは、仕事よりも周遊と見聞が優先の遊び旅だからである。
その一環としてパリに出かけた。
ことしは海を目指す恒例の夏のバカンス旅とは別に、6月にはポルトガルのほぼ全土。次にプラハ、アムステルダムと巡覧する予定も立てている。
また4月に計画して流れたナポリ、ローマ回遊も早めに再挑戦しておきたい。。など、など、きりがない。
むろん60歳代が過ぎても体が丈夫でさえあれば旅には頻繫に出るつもりである。あまり仕事がからまない旅行は飽きることがなく、ひたすら楽しい。
これまで仕事で数え切れない土地を訪ねた。それらの全てを、こんどは仕事抜きで訪問したいが、それはおそらく無理だろう。数が多すぎる。
目的地を絞りにしぼって、行き着くところまで訪ね歩こうと考えている。
パリの主だった観光スポットは過去にほぼ全て巡った。
今回は、「フランス料理を食べたい」ではなく、「フランス料理を好きになりたいのでフランス料理を食べ歩く」、というコンセプトでパリに向かった。
多くの人に呆れられそうだが、僕はフランス料理を高く評価しない。言葉を変えればフランス料理は僕の好みに合わない。
世界3大料理とは「中華、フランス、トルコ」の3件という説と「中華、フランス、イタリア」の3件という主張がある。
御三家から派生した「世界の3大~」というくくりは、それが何であれ日本人だけが騒ぐコンセプトで世界では実は意味をなさない。
それでも中華料理とフランス料理が世界で1、2を争う料理で、次にイタメシとトルコメシが続く、と考える人は地球上に多いのではないか。だが僕は少し違う意見を持っている。
僕の考える世界の3大料理とは、ランク順に:
「日本料理、イタリア料理、中華料理」である。
さらに僕はこれまでに実際に食べてみた世界料理の中では、7大料理というくくりを持っている。
それはランク順に:
「日本料理、イタリア料理、中華料理、トルコ料理、スペイン料理、ギリシャ料理、フランス料理」である。
フランス料理には何の恨みもない。同料理の「こってり感」と「気取り感」が、個人的には世界で7番目くらいに好き、というだけの話だ。
ところがである。
僕はトルコ料理、ギリシャ料理、またその後に食べ歩いたスペイン料理を知るはるか以前に、フランス料理はむちゃくちゃに美味い、という矛盾した体験をしている。
イタリアのスロフード運動が、Arcigola(アルチゴーラ)と名乗っていた黎明期に彼らを取材した。その後、グループに招待されてパリに同行しフランス料理を3日間食べまくったことがあるのだ。
その時訪ねた全てのレストランのあらゆる料理が美味だった。Arcigola(スローフード)が選りすぐったレストランばかりだったからだ。
しかし僕の中ではその強烈な体験は例外的なケースとして認識されていて、ふだんはどうしてもランス料理にそれほど魅力を感じない。
そこで今回旅では、じっくりとフランス料理に挑んでみようと構えた。
結論を先に言えば、結論は同じだった。
僕はやはり、フランス料理が苦手だ。濃密なタレに包まれた魚肉や、親の仇みたいにしつこいソースの乗っかった肉料理は、美味くないことはないのだが物足りない。味をごまかされたようでしっくりこない。
だが、再び、ところが、
一軒の店のひと皿が起死回生のうっちゃりを僕の舌に見舞った。ルーブル美術館に近い店で食べた子羊の煮込みである。
そこまで肉も魚も厚化粧のタレ三昧の世界に飽きていたにもかかわらず、子羊の特製ソース煮込みという説明に惹かれて、ためらわずにその一品を注文した。
僕は地中海域を旅しながら、子羊&子ヤギ料理を探求している。子羊&子ヤギ肉は、そこでは国また宗教のいかんを問わずきわめてありふれた食材である。
味も多彩で、それぞれの国や地域の風土や文化の香りがにじみ出たものが多い。
レシピは基本的に2種類に分けられる。焼き(レシピ)と煮込みである。焼きは炙りを含み、煮込みは蒸しを含む。焼きレシピはハマれば目覚ましい味になるが、多くの場合単調な口当たりになる。
地中海から遠い欧州のほとんどのレストランが提供する子羊&子ヤギ料理は、羊肉の風味がかすかに残るだけの独創性に乏しい、モノトーンな塩味のそんな焼きレシピだ。
片や煮込み膳は、いわば子羊&子ヤギ料理のハイライト。煮込みは各店のシェフの手腕でピンからキリまで大きく異なる。それぞれの店は秘伝のソースを編み出して技を競う。
子羊&子ヤギ肉には独特の臭みがある。技の第一はこの臭みの処理。続いて肉をいかに柔らかく仕上げるか。最後に各店のオリジナルのタレが絡んで絶品の味が出来上がる。
子羊&子ヤギ肉の煮込みはワインで言えば赤ワインである。選択肢が広く無数の味があり風味が限りなく深い。
ルーブル美術館脇の店で出会った料理はそんな極上品のひとつだった。いわば子羊肉の❝企業秘密ソース❞煮とも呼ぶべきひと皿。
僕の苦手なフランス料理のこってりタレは、子羊肉を引き立て、臭みを消し、旨味をこれでもかとばかりに引き出す脇役に徹していた。
子羊料理とともに心地よい感動をもたらしたのは、フランス人の変貌である。
かつてフランス人は、「フランス優越意識」に縛られて、旅人に対して不親切だったり横柄だったり冷たい態度に終始することも珍しくなかった。
英語で話しかけると知らないふりをしたり不機嫌になったりする、良く知られた悪評そのものの反応に僕もしばしば出会った。
そんな不快なフランス人気質は、フランス人がEUという運命共同体の中で生きていくうちに徐々に消滅して、EU人としての意識が芽生え高まっていることが分かる。
他の加盟国の人々との垣根が低くなり、親しみが生まれ、友好親善の心が強くなって連帯意識が増している。
何事につけEU(欧州連合)というコンセプトが優先される状況は、人々の意識に劇的な変化をもたらしたのである。
フランス人のパスポートには、他の全ての欧州連合加盟国のパスポートと同じように、フランス共和国の名前に先んじて「欧州連合」という文字が鮮明に刻印されている。それは欧州の勲章とも呼べる輝かしい理念の表出だ。つまり欧州連合を構成する27国の国民にとっては、それぞれの国が祖国であると同時に欧州が母体であると明確に規定されているのだ。それは欧州の長い歴史の中で初めて出現したコンセプトであり意識であり法的規定である。
それどころか実はそれは、大きな経済ブロック内の人々が国民意識に近似した同一の共同体意識を持った、世界で初めての出来事、と言ってもよい。
アメリカ合衆国がそれに近いコンセプトで成り立っているが、そこを欧州連合と同一に見なすことはできない。なぜなら合衆国内の「それぞれの国民(州民)」は、誰もが同じ言語を話す。
片やEU内のそれぞれの国民は、それぞれが違う言語を母国語にしている。多様性という意味でアメリカ合衆国を寄せ付けない強さを持っている。
むろんそれは弱さにもなり得る。そしてその弱さを克服することが、EUのさらなる強さを担保していく、という多様性を核にした重構造を持つのが欧州連合である。
そうやってかつてはなによりも優先された「優秀なフランス人」意識が後退し、他者と同列の心理が強いEU人意識が根付いて、僕に言わせればフランス人は「いい奴ら」へと変わった。
その意識はEU枠外人の僕のような旅人にまで敷衍発揮され、翻って彼らへの好感度が大きく高まる、と僕は見る。
論じつめると、今回のフランス旅でも「フランス料理」は僕を虜にすることはなかったが、フランスという国とフランス人は、まっすぐに噴射上昇するロケットのように僕の中で好感度を増して舞い上がった。
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