ミスター・プロ野球・長島茂雄が亡くなった。彼とは一度だけ行き逢った。
巨人・大鵬・卵焼き好き少年を地で行き、やがて圧倒的に長島ファンになった僕は、ずっと後にアンチ巨人になった。
巨人軍の渡部恒夫オーナーが、日本プロ野球選手会会長の古田敦也に「たかが選手が無礼な事を言うな。分をわきまえろ」と罵ったという傲慢発言に反発して、巨人を応援するのが嫌になったのだ。
渡辺氏は内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対し旧日本軍の戦争行為を厳しく糾弾。また昭和天皇の戦争責任を認めるなど、僕が賛同する点も多い。
特に日本の戦争責任を追求して「戦争責任検証委員会」を立ち上げ、『戦争責任を検証する』という本まで出版したことには深く頭をたれる思いだ。
だがそのころは渡辺氏の傲慢発言-実は誤報らしい-に強い反感を抱いた。
アンチ巨人になっても、しかし、僕の長島茂雄への思いのたけは変わらなかった。
長島さんと顔を合わせたのは、確か大学4年の時である。
当時僕は表参道にあるコープオリンピアでアルバイトをしていた。駐車場の管理が僕の仕事で徹夜番が多かった。真夜中過ぎになるとほとんどやることもないので、僕は卒業論文もそこで書き上げた。
1964年の東京オリンピックの翌年に誕生したコープオリンピアは、日本における高級マンションのはしりとされ、各界の有名人が住んだ。
僕がアルバイトとをしていた頃、読売巨人軍のアメリカ人助っ人クラウド・ライト投手もそこに暮らしていた。彼は試合中にキレることが多く、よく「クレージー・ライト」と揶揄された。
ある日、巨人軍監督だった長島さんが彼を訪ねた。僕はそこに居合わせたのである。
現役は引退しているが、長島さんのオーラはすさまじく顔の輪郭がぼやけているように見えた。
テレビ屋の僕は、仕事の性質上有名人と会う機会が多い。長島さんと並ぶ人気者、王貞治さんとも仕事で出会った。
が、実は僕は、テレビ屋になる以前から、何かとセレブに行き逢う悪運の強い男だった。
長島さんもそのうちの一人だった。
ただ僕の長島さんへの変わらぬ愛は、彼と偶然顔を合わせたからではなく、純粋に野球選手として敬慕していたからである。
合掌
追伸:仕事で出会った多くのセレブ、またそれ以外の機会に行き合った有名人などについては、いわば時代を映す鏡、また僕自身のささやかな自叙伝のうちのカラフルなエピソードとして、ぼちぼち書いて行こうかと思う。