
リゾート感覚のイタリアよりももっとさらにリゾートなエーゲ海にいる。
イタリアは敢えてその気になって見れば、国全体がリゾート地と呼べるほどに楽しく美しい国である。
そのイタリアに住む僕が、呆れて絶句するほどただひたすらに輝くリゾート地が、エーゲ海とそこに浮かぶ島々だ。
そのエーゲ海にことしも無事に立つことができた。
正確にはクレタ島のビーチ。エーゲ海の最南端。クレタ海と呼ばれることもある碧海である。
地中海は東に行くほどに空気が乾き気温も高くなる。
イタリアよりも東にあるギリシャの乾いた空気は、白く輝き圧倒的な開放感を呼ぶ。
雨が全くと言ってもいいほど降らず、雲一つないぬけるような青空がどこまでも高く広がる。
碧空を裂いて白光が一閃する。エーゲ海特有の強風❝メルテミ❞を捉えたカモメが滑空し遊ぶ姿だ。
スピードに乗り動きが直線的なために航跡が白く結んで輝く光芒となる。
およそ2500の島々が浮かぶエーゲ海は西洋文明の揺籃の地である。
そのうちの最南端のクレタ島は、古代ギリシャ文明に先立つミノア文明を生み出した奇跡の大地だ。
島の中心都市ヘラクリオンにあるクノッソス宮殿がその象徴である。
広島県ほどの大きさに過ぎない島が、西洋文明の原点である古代ギリシャの、そのさらに揺りかごだったという歴史事実は、目のくらむような感慨を呼び覚まさずにはいられない。
だがミノア文明とは、今からおよそ5000年も前に興隆した青銅器文明のこと。リゾート化した21世紀の島で、常にそのことを意識しつづけるのは難しい。
クレタ島は長い歴史の間には、ローマ帝国やアラブやビザンツ帝国 の支配下に入り、やがてヴェネツィアまたオスマン帝国に侵略されるなど、恒常的に厳しい環境に置かれた。
第二次大戦でもドイツ軍に蹂躙されたが、ギリシャ共和国の一部として復興。やがて欧州に始まった観光ブームによって今の発展を手に入れた。
2008年頃、僕は10年ほどをかけて中東や北アフリカを含む地中海域を旅するという計画を立てた。
ヨーロッパを少し知り、そこに住み、ヨーロッパに散々世話になってきた僕は、これから先じっくりと時間をかけて地中海域を旅し、その原型を見直してさらに学んでみたいと考えたのだ。
ただし、その旅はできれば堅苦しい「勉強」一辺倒の道行きではなく、遊びを基本にして自由気ままに、のんびりと行動する中で見えてくるものを見、見えないものは見えないままにやり過ごす、というふうな余裕のある動きにしたいと願った。
テレビドキュメンタリーや報道番組に長く関わってきた僕は、何事につけ新しく見聞するものを「もしかするとテレビ番組にできないか?」と、いつも自分の商売に結び付けてスケベな態度で見る癖がついてしまっている。
つまり、いやらしく緊張しながら物事を見ているのである。
僕はそのしがらみを捨てて、本当の意味で「のんびり」しながら地中海世界を巡りたい。
そうすることで、これまで知識として僕の頭の中に刷り込まれている地中海、つまり古代ギリシャ文明や古代ローマ帝国やキリスト教など、西洋文明の揺籃となった輝やかしい世界を、ゆるい、軽い、自在な目で見つめてみたい。
それができれば、仕事にからめて緊張しながら見る時とは違う何かが見えてくるのではないか、と考えた。
基本的なプランは次のようである。
イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下しながらバルカン半島の国々を巡り、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破する。
中でもギリシャに重きをおいて旅をする。また訪問先の順番にはこだわらず、その時どきの状況に合わせて柔軟に旅程を決めていくという計画。
だが僕のそのプランは、アラブの春や立て続けに起きるイスラム過激派のテロのおかげであえなく頓挫した。僕は命知らずの勇敢な男ではないので、テロや誘拐や暴力の絶えない地域を旅するのはまっぴら御免だ。
そこに新型コロナが追い打ちをかけた。パンデミックの衝撃は気持ちを挫き状況がますます悪くなった。
そこで僕は、アラブまた北アフリカの国々は「将来世情が落ち着いた場合のみ訪ね歩く」ときっぱり割り切って、地中海紀行はギリシャを中心に欧州各地を巡る形に変えた。
そんなわけでエーゲ海を良く訪れる。6月には2500の島々の内の幾つか。9月から10月はクレタ島のビーチ、というのが基本の考えだが、あまりこだわらない。
7月と8月の観光シーズンのピークを避けて費用を抑え、のんびり、楽しく、食い気満々の旅である。