平和の礎

毎年6月から8月にかけて第2次大戦と戦犯をあれこれ思うのが僕の慣わしである。

他の時間にもむろん思わないことはないが、沖縄戦の終結と広島長崎の原爆、そして8月15日の敗戦と続く流れのメディアジャックに便乗することがやはり多い。

1945年6月23日、全国合計 310万人の戦没者のうち、一般市民約94000人と、軍人軍属約28000人、計12万2000人の沖縄県民の犠牲のもと、第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長の自害と共に沖縄戦が一応終結した。

唯一の地上戦と凄惨な地獄を経験した沖縄は、間もなく島をアメリカに売り渡すことになる昭和天皇の裏切りと、そのことも影響したネトウヨ・ヘイト系愚民による県民への執拗な差別感情の到来を予測できないまま焦土と化して横たわっていた。

マッカーサーによって仕置きを免れた昭和天皇は、先ず沖縄をアメリカに差し出し、自らの大罪を「私には分からない」と述べて知らん振りを決め込み、広島長崎の原爆は「止むを得ないことだった」と無責任に言い放って、自決したヒトラーと民衆に処刑されたムッソリーニとは大違いに違い、畳の上で死んだ。

天皇は輔弼(ほひつ)者に従っただけのいわば操り人形。だから戦争責任はない、というのは欺瞞だ。

輔弼者は結局天皇の裁可がなければ何もできなかったのだから、その言いは誤魔化しの建前論に過ぎない。

百歩譲って例えそうだったとしても、天皇も輔弼者も自らの保身にかまけるだけで、彼らの中には犠牲になる国民への思いが完全欠落していた。その時点で罪は免れない。

昭和天皇はマッカーサーと会った際、私はどうなっても構わない、と言ったと伝えられているが真相は分からない。たとえそれが真実だったとしても、多くの国民に加えて侵略先の国々で、膨大な数の住民の殺戮を繰り返した罪は消えない。

沖縄がまさに陥落する前日、多くの住民と兵士が無残に死に続けていた1945年6月22日、東京では天皇を中心に権力中枢の戦争犯罪者が集っていわゆる御前会議を開いたが、相変わらず「本土決戦」と「一撃和睦」の門徒物知らずの念仏を唱えるだけで、戦争犯罪の上塗りに上塗りを重ねる愚行は終わらなかった。

一撃和睦も本土決戦も誤った見通しに基づく誤った戦略だった。戦争においては作戦の失敗は即被害や死に結びつく。誤った作戦は許されるべきではなく必ず断罪されなければならない。なぜならそれが戦争だからだ。故に天皇以下の権力中枢は一人残らず有罪である。

昭和天皇の罪は誰よりも重い。なぜなら彼は統帥権を持つ大元帥だった。従って軍部の暴走を止めなかったことや、開戦から戦争継続、さらには戦いの大詰めで迅速にそれを終結できず、結局大空襲、沖縄戦、広島&長崎の原爆など、無くてもよかった甚大な被害を招いた。その責任だけでも彼は万死に値する。

それが起きなかったのは、マッカーサーが天皇を生かしておくことが日本統治に役立つと思い込んで、天皇が極東裁判で起訴されることを避けた。そうやって昭和天皇は命拾いをした。

日本国民はアメリカの占領が終わった後、戦犯を徹底追及し今も続けているドイツや、ドイツの薫陶を受けてファシズムという過去を断罪し、反省し、警戒する心を社会の最重要な道徳的支柱とすることに成功したイタリアとは違い、全てをうやむやにした。むろん天皇を独自に断罪することもなかった。

昭和天皇の戦争責任を追及、分析するとき必ず提示されるのが先に述べた責任は輔弼者にあり天皇は無罪」という主張である。それは飽くまでも天皇をシラス(治らす)と見做す土着未開の精神に支配された日本原人が、近代的自我の最重要コンセプトである「人間は生まれながらに平等であり出自による優劣は存在しない」という人間存在の真理中の真理を、骨の髄まで染み込ませては理解できていないことから来る。

近代的自我が人々の存在原理のうちに一分の隙もなく組み込まれた社会では、天皇というひとりの人間に身体的にも、心理的にはもっとさらに、畏れをなしてをひれ伏すことなどあり得ない。

そこでは人々は、お互いに1対1の人間として対峙した後、相手が人間的に優れていると腹から認めるときにのみ素直に尊敬の念を抱く。

それができない社会では、多くの日本人が今この時もそうであるように、天皇を無条件に上位存在と捉えて身も心もひれ伏す前近代的な精神が主流を占めることになる。

天皇は天皇という肩書きが重要なのではなく、彼が一人の人間としていかなる人格で何を成すか、ということだけが重要なのである。

そのことに気づいて、天皇を条件反射的に崇め奉る悪魔の呪縛から解き放たれたとき彼を純粋に一人の権力者として見做すことができるようになる

そこに至って初めて、昭和天皇の戦争犯罪人としての実相がくっきりと見えてくるのである。

彼の周りの輔弼者や軍幹部らに加えて、世界中では約5,700人の日本人が戦犯として起訴され、およそ1,000人が死刑判決を受けた。それとは別にソ連でも約3000人が裁かれたと見られている。

それなのになぜ加害者全体の統率者として君臨した昭和天皇が裁かれずにいられるのだろうか。

昭和天皇はもはやこの世にはいない。だが日本はいつの日か必ず彼を裁いて国民的合意を形成し、日本の戦争責任を明確にして子供たちにしっかりと教え語り継がなければならない。

それなくしては日本の真の再生はあり得ず、安倍元首相がレールを敷き高市早苗首相に代表される歴史修正主義者がその上を突っ走る政治がいつまでも続いて、再び破滅しかねない。

なぜなら過去を直視しない彼らは、再び同じ間違いを繰り返すことが宿命だからである。

その兆候は既にあらわになりつつあるようにも思える。




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